今日は少し暑かったですが、天候に恵まれました。
ということで、今月始めに使って良い鉄道旅ができたので、
おでかけ周遊きっぷ」を再び使ってみましたよ
 
倉敷市南部と玉野市宇野が目的地です!
まずは、「後鳥羽上皇関連」の史跡へ向かいます♪
吉備線で岡山駅へ・・・そして瀬戸大橋線の普通電車に乗り換えます。
この路線は快速マリンライナーが主体ですが、今回は各駅停車です。
のんびり車窓を楽しんで「木見駅」に到着
茶屋町駅と児島駅の中間くらいですかね。
ココは倉敷市内ですが、備中国ではなく備前国なのです。


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JR木見駅から北西に500メートルくらい歩きます。
 
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「頼仁親王御陵前」のバス停もあります(現在は廃止路線?)
 
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 頼仁親王墓
 
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頼仁親王(よりひとしんのう、建仁元年7月22日1201年8月22日) - 文永元年5月23日1264年6月18日)は、鎌倉時代初期の皇族後鳥羽天皇の皇子で、母は内大臣坊門信清の娘西の御方。卿二位こと藤原兼子に養育される。号は冷泉宮。
承元4年(1210年)、親王宣下。母の姉妹が源実朝の室だった関係もあり、建保7年(1219年)の実朝横死後は一時後継の征夷大将軍候補に擬せられていた。
承久3年(1221年)の承久の乱の結果、父の後鳥羽上皇らが配流されると、親王もこれに連座して備前国児島へと流された。同地において薨去したとされ、一説には児島高徳の遠祖であるとも伝わる。
岡山県倉敷市にある修験道の寺院五流尊瀧院の歴代大僧正は頼仁親王の子孫が務めていると伝わる。
(Wikipedia)


今回、歩きだと少し遠かったので・・・
「お茶のまず博士さん推奨の関連史跡」には行けませんでした
また後日・・・今度は車で行こうと想います。
 
 
ところで、岡山県内に「宮内庁管理の陵墓」は、
頼仁親王以外に、どこか有りますでしょうか?
吉備の中山にある「吉備津彦命陵墓」は宮内庁管理のようですが。