明からやってきた狛犬を鑑賞して・・・次は、いよいよ近代遺産の探訪です♪

大阪城公園には、かつてアジア最大の軍事工場:『大阪砲兵工廠』が有りました!
大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)ないし大阪陸軍造兵廠(おおさかりくぐんぞうへいしょう)は、大村益次郎の構想により大阪に作られた大日本帝国陸軍兵器工廠造兵廠)。太平洋戦争大東亜戦争)の敗戦による帝国陸軍の解体まで、大口径火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア最大の軍事工場であった。また、戦前中の日本では重工業分野においてトップクラスの技術や設備をもっていたため、官公庁や民間の要望に応えて兵器以外のさまざまな金属製品も製造していた。(Wikipedia)
 
大村益次郎・・・維新の功労者:村田蔵六先生です。四境戦争や上野戦争での指揮は素晴らしいですね。それに、変わり者というところが大好きです❤
大河ドラマ『花神』での一場面。重要軍事施設を大阪に造る…元々は薩摩対策だったのですね。
 
日本陸軍の創始者:蔵六先生は大阪を視察したあと京都で暗殺されてしまいます。
 
のちに工廠は大阪城の東側一帯に建設されました。
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ちなみに、現在のJR大阪環状線で大阪城公園駅のあたりが高架ではないのは、
工廠内を覗き見されないように壁を設置していたからだそうですよ。
 
陸軍唯一の大口径火砲製造拠点・・・このような大口径砲は砲兵工廠製です。
made in Osaka
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1942年に大阪陸軍造兵廠で製造され、第32軍直轄砲兵たる独立重砲兵第100大隊に配備され沖縄戦で活躍した八九式十五糎加農砲(Wikipedia)

昭和20年8月敗戦直前・・・大阪砲兵工廠は壊滅的被害を受けます。
 
8月14日午後約150機のB-29の集中爆撃で工廠は80%以上の施設が破壊されその機能を失った。 空襲による砲兵工廠構内での死者は382人だったと報告されている。だが、隣接地域を含めた犠牲者総数がどれだけの数に上ったのかはわからない。(Wikipedia)
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敗戦後の大阪【1948年】
 
そして現在・・・大阪城京橋口門から少し北へ移動すると「筋鉄門跡」の説明板があります。
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説明板の横を見ると…有りました♪
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砲兵工廠の石碑