後鳥羽上皇ゆかりの「水無瀬神宮」の流れで
京都の「大原陵」へやってきました♪
大原に来たのは、これが目的なのですよ

三千院からすぐ近く、少し北へ入ったところに
後鳥羽上皇と順徳天皇の陵墓があります。
両天皇ともに配流先の島で亡くなりますが、陵墓はこの大原の地へ。
陵墓に隣接してあるのが・・・

水無瀬の御所ゆかりの

法華堂
法華堂の横には陵墓・・・


後鳥羽天皇と順徳天皇の大原陵


「後鳥羽天皇 大原陵」

「順徳天皇 大原陵」
ちょっと気になる存在:順徳天皇ですが、
最期が凄いですね・・・自らの頭に焼石を乗せて亡くなったとは\(◎o◎)/!
順徳天皇は父:後鳥羽上皇の討幕計画に参画し、それに備えるため、承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位して上皇の立場に退いた。父上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で、5月に承久の乱を引き起こしたものの倒幕は失敗。乱後の7月21日、上皇は都を離れて佐渡へ配流となった。在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御した。病気は重くなかったが、還京の望みがない以上の存命は無益として、断食を行った後、最期は自らの頭に焼石を乗せて亡くなったと伝えられる。なお、在島中の詠歌として、貞永元年(1232年)の『順徳院御百首』が残されている。配流後は佐渡院と称されていたが、建長元年(1249年)7月20日順徳院と諡された。
(Wikipedia)