ホケノ山古墳から東へ進むと、「山の辺の道」の本道に入ります♪
次に向かうのは大神神社の摂社・・・
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桧原神社
ココから振り返ると大和盆地を見渡せますよ★
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冬の大和盆地をはさんで、二上山が見えます!
いつの日か 登ってみたい 二上山
 
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桧原神社は「元伊勢」と呼ばれています。
元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。
伊勢内宮の祭神である天照大御神皇祖神であるが、崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっている。(Wikipedia)
 
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この雰囲気・・・まさに「神聖」「厳粛」・・・いや、言葉では表現できません
 
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三輪鳥居(三ツ鳥居)
大神神社関連の鳥居・・・どうも由来が不明らしいですが・・・
なんともデザインが素晴らしいですね★

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このような景色を観ながら北へ・・・
 
巨大古墳が見えてきました!景行天皇陵です♪
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景行天皇陵(渋谷向山古墳:前方後円墳 全長310m)
景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年(紀元前13年)- 景行天皇60年11月7日130年12月24日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日71年8月24日) - 同60年11月7日(130年12月24日))。和風諡号大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・大帯日子淤斯呂和氣天皇(古事記)。常陸風土記には大足日足天皇。播磨風土記には大帯日子天皇、大帯日古天皇、大帯比古天皇。日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。(Wikipedia)
 
この景行天皇陵、吉備の造山古墳との比較で話題になったりします。
というのも、仁徳天皇陵などの巨大古墳が出現する前の時点で、
造山古墳は同時期の景行天皇陵を凌ぎ、日本一だったという説があるからです。
造山古墳は、全長350m、高さ31m、平面積約7.8haの巨大な墳丘規模を形作っているばかりでなく、約9.6haの広大な墓域の中に築造されていることが、地割から復元できます。全国の多くの前方後円墳に見られるような、水を湛(たた)える周濠(ごう)は無かったと判断されますが、吉備地方でのそれまでのものとは規模と形態を異にしています。全国第4位の規模は、この古墳の築造時には最大規模であったと考えられます。第1位の大山古墳(伝仁徳天皇陵=全長486m)と第2位の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵=全長425m)とは、造山古墳より後の時期であり、第3位の石津ヶ丘古墳(伝履中天皇陵=全長365m)が同時期でほぼ同規模ですので、従来の全国最大規模の渋谷向山古墳(伝景行天皇陵=全長300m)を、大きく更新した最大規模観で出現していたと評価されます。
 
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天皇陵とクルマ お気に入り写真です♪
古墳と廃車(ホンダですが車種不明)・・・哀愁を感じる雰囲気でした