次の目的地は崇神天皇陵・・・行燈山古墳と呼ばれています★
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行燈山古墳(あんどんやまこふん、あんどやまこふん、行灯山古墳とも書く)は、奈良県天理市柳本町に所在する古墳時代前期の前方後円墳帆立貝形古墳にも分類される)である。
本古墳は、龍王山の斜面の先端を利用して造られており、平野の方に前方部を北西に向けている。後円部がより高い山側にある。 三輪山の山麓に築かれた大和・柳本古墳群の中でも、渋谷向山古墳(現景行天皇陵)に次ぐ大きさであり、現崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)に比定されている。その政治勢力は、三輪王朝とか初瀬王朝と呼ばれている。初期ヤマト政権の大王陵である。
幕末の文久の修陵の開始時には、本古墳が景行陵だったのが、修陵事業の完成直前の1865年(慶応元)2月に、崇神陵に取り替えられた。これなどは、考古学の遺跡名に陵墓名を持ち込むと混乱を引き起こす原因になる好例である。(Wikipedia)
 
もともと景行天皇陵になっていたようです・・・
混乱していたみたいですね\(◎o◎)/!
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全長242メートル
 
前方部へ周ります。
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崇神天皇陵
崇神天皇(すじんてんのう、開化天皇10年(紀元前148年) - 崇神天皇68年12月5日紀元前29年1月9日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日紀元前97年2月17日) - 同68年12月5日紀元前29年1月9日))。和風諡号は『紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)。また、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられる。『記』では御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)である。
◆現代日本の学術上、実在可能性が見込める初めての天皇であると言われている。
258年没説を採った場合、崇神天皇の治世は、中国の文献に記載されている邪馬台国の時代と重なることになる。
◆諡号から、崇神天皇を初代天皇とする説や崇神天皇と神武天皇を同一人物と見る説がある
(Wikipedia)
 
神武天皇=崇神天皇説・・・ということは、神武東征=崇神東征?? 
九州から大和にやって来たのでしょうか?
 


崇神天皇陵から北へ向かって、のんびりと歩いて行きます♪
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こんな道だったら、いくらでも歩けそうです★
 
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山の辺の道沿いには、このような無人販売所が有ります。
みかん一袋100円、買ってみました(^o^)
 
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柿と古道・・・良い感じ(^o^)

次は中世(戦国時代)の遺構です♪
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竹之内環濠集落
 
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環濠の一部が残っています。
 
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集落の自衛・・・この環濠で防御できたのでしょうか?