UCC『永遠の0』コレクションの情報を知ってからというもの、
全種類集めようと決意して、コンビニに行くたびに在庫確認していますが・・・
さっぱり見かけなくなりました
もう終わったのかな??
しかたないので、1機だけ入手した「紫電改」で想いにふけります
紫電二一型甲 343空 剣部隊

1943年以降のF6FやF4U、P51ら連合軍新鋭機の登場によって急速に現実問題化した零戦の旧式化にも関わらず、零戦後継機として軍が本命視していた次期甲戦の烈風は1944年になっても試作途中段階に留まっており、量産配備はまだ先と見積もれていた。これに業を煮やした海軍は紫電の生産ラインを多少改変すれば生産可能であった本機を機体分類上は乙戦のまま、1944年4月の段階で零戦の後継機として選定し、生産を指示した。この決定の影響により、分類上は迎撃戦闘機である乙戦のままであったのに関わらず、実際の実戦では主な配備先の三四三空を始めとした部隊では零戦に代わる次世代『制空戦闘機』として運用されていく事になる。(Wikipedia)

第343海軍航空隊は、日本海軍の航空隊で、1944年1月開隊の初代(隼部隊)と、1945年2月開隊の二代目(剣部隊)がある。二代目の第343海軍航空隊(剣部隊)は太平洋戦争の後期において戦闘機紫電改によって防空任務で活躍した部隊として有名である。
二代目の第343海軍航空隊(剣部隊)は、1944年(昭和19年)中盤、サイパン、グアムで相次いで日本軍が玉砕し、絶対国防圏が破られた事で米軍による本土空襲が避けられないと判断した日本海軍が本土防空部隊の設立に着手する情勢の中で、本土周辺空域の制空権を回復しようと、戦闘機隊出身の軍令部作戦課航空部員であった源田実大佐の着想によって創設された[3]。大戦末期、戦闘機紫電改を集中配備し、優秀な搭乗員を擁した本航空隊は敗色濃厚で劣勢な日本本土防空戦のなかにあって終戦まで活躍した。1945年2月1日開隊。司令は源田実大佐。通称剣部隊(つるぎぶたい)。(Wikipedia)

紫電改展示館(愛媛県愛南町)戦後1978年11月愛媛県南宇和郡城辺町(現・南宇和郡愛南町)久良湾の海底で1945年7月24日の未帰還機と思われる343空の紫電改が発見される。しかし諸々の危険性から引き上げに各方面は消極的であった。元343空隊員や遺族からの引き上げてほしいという願いを代表し当時参議院議員の源田実元司令と自衛艦隊司令の相生高秀元副長が各方面に働き掛け引き上げられることになる。遺品などは残っておらず特定は困難であったが、301飛行隊の機体と思われる。343空隊員や遺族により慰霊式が執り行われ源田司令より「紫電改は浮上した今何事も語らずただ黙々と翼を休めております。」から始まる弔辞が行われた。[87]この紫電改は愛南町南レク馬瀬山公園の紫電改展示館に保存・展示されている。(Wikipedia)
紫電改展示館・・・いつの日か再訪したいです。