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備前ではかつて、浦上氏・宇喜多氏などの武将たちが活躍していました。
天正10年(1582)、後の関白・秀吉は、中国地方を中心に勢力を伸ばした毛利氏を打ち破るため、黒田孝高(官兵衛)らとともに、備前へ入ります。
備前は、浦上氏から宇喜多氏へ権力が移り変わった時代でした。
一代で宇喜多氏の地位を築いた直家は前年(1581)に亡くなっており、後を継いだ秀家は秀吉との出会いによって運命が大きく変わります。
今回の展示では備前市内に残る、貴重な中世文書や戦国武将ゆかりの品々を紹介します。
◆主な展示物◆
 宇喜多秀家禁制札
 黒田如水判物
 伝羽柴秀吉寄進陣羽織
 羽柴秀吉禁制札
 小早川隆景書状
 穂井田元清書状
 森忠政書状


ということで、先週土曜日・・・開催期間ギリギリで行ってきました。
久し振りに「JR赤穂線」の風景を眺めながら
備前片上駅へ向かいます♪
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乗り過ごして伊里駅へ
寒風吹きすさぶ中、一時間待ち・・・
無人駅かと思ったら、
おじさんが出てきて、きっちり徴収されました。
 
引き返して
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備前片上到着!
 
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備前市歴史民俗資料館
 
企画展示数は少ないものの、その分集中して鑑賞できました。
黒田官兵衛判物とか小早川隆景書状は感慨深いものです。
さらに、説明文等に登場する「浦上氏」など・・・
なかでも『浦上宗景』について想い出しました!
「浦上宗景の最期は??」という件
以前少々調べてみたら、
やはり最期は行方不明ということになっています。
筑前(福岡)で没したという説もありますが・・・どうなったのでしょうか?
 
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檜扇(浦上氏)
・・・
天文20年(1551年)、再び兵を率いて備前侵攻に際して政宗と弟の浦上宗景は真っ向から対立。政宗は播磨国室津に、宗景は備前国天神山に根拠を置いて、以後10年にわたり対立し、浦上氏は大きく分裂することになった。政宗は播磨守護代として実効支配を行い赤松氏を傀儡としていたが、永禄7年(1564年)に赤松政秀に襲撃され滅んだ。一方弟の宗景は、備前・美作一帯に一大勢力を築いて、また織田信長と誼を通じるなどして、再び家勢を盛り返した。宗景は、信長には領国の安堵を受けたが、台頭してきた重臣の宇喜多直家と不和となり、毛利氏と結んだ直家は浦上久松丸を擁立して天正3年(1575年)に宗景を打ち破り播磨国に追放した(天神山城の戦い)。ここに戦国大名としての浦上氏は実質的には滅亡した。久松丸はまもなく直家に毒殺され、また宗景は黒田長政を頼り筑前国で没したとされる。(Wikipedia)