先日、12月6日・・・潜入してきました!
 
鬼哭の城・・・備中国:鬼ノ身城へ
戦史研究家・miyake先生から情報を頂いた小説の舞台です
イメージ 1
 
イメージ 2
 「鬼ノ身城」遠望
 
イメージ 12
小早川隆景が着陣した伊与部山城から西へ数キロの場所にあります。
(同市内には日本100名城の「鬼ノ城」がありますが、関係はありません)
 
イメージ 3
日本城郭体系13より
 
イメージ 7
城跡の説明板より
 
やはり備中兵乱における上田実親の自刃は印象的です。
 
上田 実親(うえだ さねちか、弘治2年(1556年)? - 天正3年1月29日1575年3月11日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。備中国戦国大名三村氏の家臣。鬼身城主。三村家親の四男。また三村元親の弟にあたる。子に勝親吉親
備中国を統一した三村氏の四男で、かつては三村実親を名乗った。現在の総社市北部水内庄で勢力を持っていた上田氏上田家実(一説によると上田阿西とも)の養子となり、上田氏の居城である鬼身城の城主となる。鬼身城は、街道玉島往来の要衝にあり、備中松山城に対する要塞の機能を持った重要な城であった。
備中兵乱が起こると三村氏側の居城が次第に毛利氏に落とされていき、天正3年(1575年)1月23日に鬼身城も毛利勢の大軍に包囲された。実親と城兵は苦戦を強いられ、1月29日実親は城兵の命と引き替えに20歳の若さで自刃し、鬼身城は落城、毛利氏の居城となり宍戸氏が入城した。この鬼身城襲撃は、義父である上田家実が毛利氏に内通していたのが要因といわれている。(Wikipedia)
 
イメージ 4
主郭へ向かう道
 
イメージ 5
主郭の一ノ壇に到着
 
眺望最高でした★ 
イメージ 6
 南方・・・瀬戸内海が見えたような・・・
 
イメージ 8
東方・・・総社市街地が遠くに・・・
 
イメージ 9
主郭から見る扇状の郭:「扇の縄」
写真ではよく分かりませんが扇の様になっております
 
そして、なんとか探し当てたのが・・・
イメージ 10
城跡の井戸
 
イメージ 11
四百数十年前・・・籠城時にも、この井戸を使ったのでしょうね。
苔むした石組みを見ていると、感慨深いです・・・