壷阪寺から五百羅漢を経て、高取城跡へたどり着く。山上に残存する累々たる石垣の保存状態は抜群であった。


日本城郭体系より(高取城縄張り主要部)
城は、高取町から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。
曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。(Wikipedia)

【古写真】大手門付近より(明治20年頃)

大手門

十三間多門櫓付近

太鼓御櫓台と新御櫓台

本丸下の城跡碑

天守台

本丸虎口

暫く本丸跡に立ち往時を偲んだ。
そして、


帰路にある猿石が印象的であった。かつて明日香で見た猿石と同類らしい。
長途の下り道・・・城下町へ歩を進める。