先日、県立博物館の交流展と記念講演2本を拝聴★特に池田恒興の肖像画については印象深い研究でありました!
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池田恒興画像(鳥取県立博物館)
池田 恒興(いけだ つねおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名織田氏の家臣。池田恒利の子。子に元助輝政など。
尾張犬山城主、摂津兵庫城主、美濃大垣城主。通称は勝三郎。紀伊守を自称、晩年に入道し勝入と号した。を信輝としている軍記物もあるが、信頼できる同時代史料には見当たらない。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは娘婿の森長可と共同で犬山城を攻略したが、羽黒の戦いでは徳川家康の家臣である酒井忠次らに敗れ、敗走した[3]。その後、徳川家康の本領・三河国を攻撃しようとした羽柴秀次軍に従軍したが、長久手において討ち死にした[3]。享年は49であった[3]。(Wikipedia)