但馬国分寺跡地から北上してJR豊岡駅から西へ数㎞・・・「豊岡市高屋」に到着しました。
後鳥羽上皇の事績と伝説を辿るシリーズ関連陵墓編
に続いて、今回は後鳥羽上皇の皇子「雅成親王墓」です。


雅成親王(まさなりしんのう、正治2年9月11日(1200年10月20日) - 建長7年2月10日(1255年3月19日))は、鎌倉時代初期の日本の皇族。後鳥羽天皇の皇子で、母は修明門院、後に宣陽門院の養子となる。順徳天皇は同母兄にあたる。妻は久我通光の娘。新三十六歌仙の一人。通称:六条宮又は但馬宮。

雅成親王墓への道

住宅地の一角にある政争の名残



墓前で雅成親王の配流先での想いを想像したり・・・。
残る主要関連陵墓(火葬塚)は、日本海の隠岐島と佐渡島。訪問は当分先??になりそうです。