雅成親王墓から移動して、豊岡市内の旧出石町内にある但馬国の一宮「出石神社」へ。
ここには古代朝鮮半島:新羅国の王子アメノヒボコが祀られています。

出石神社
兵庫県北部、出石盆地東縁の山裾に鎮座する神社である。出石盆地南縁の現在の出石市街地からは北方約2キロメートルに位置するが、かつては出石神社付近が周辺一帯の中心地であり、現在の出石市街地は天正2年(1574年)に山名氏が居城を此隅山城から有子山城(のち山麓に出石城)に移してからの発展になる[1]。
この出石神社は、『古事記』や『日本書紀』に記される渡来新羅王子の天日槍伝説の中心となる神社で、現在の祭神には天日槍が将来したという八種神宝の神霊および天日槍自身の神霊を奉斎し、地元では出石の開拓神としても信仰される。古くから但馬国(兵庫県北部)では随一の神威を誇ったほか、中世・近世には但馬国の一宮にも位置づけられた、但馬地方では代表的な古社になる。
社殿は大正3年(1914年)の再建で、豊岡市指定文化財に指定されている。また社宝として、明治14年(1881年)寄進の脇差(国の重要文化財)のほか、歴代領主の甲冑や古文書などを伝世し、現在はこれらの多くが文化財に指定されている。
◆出石神社の祭祀は、『古事記』や『日本書紀』などの記す天日槍(あめのひぼこ、天之日矛/天日桙)伝説との深い関わりで知られる。そのうち『古事記』応神天皇記では、天之日矛は新羅王子であり、その昔(応神天皇以前)に日本に渡来したとする[注 1]。そしてその渡来の経緯として、天之日矛は妻を追って日本に渡来し難波に着こうとしたが着けなかったため、新羅に帰ろうと但馬国に停泊していたが、そのまま但馬国に留まり多遅摩之俣尾(たじまのまたお)の娘の前津見(さきつみ)を娶って子孫を儲けたという。また天之日矛は「玉津宝(たまつたから)」と称される神宝8種を将来し、それらは「伊豆志之八前大神(いづしのやまえのおおかみ)」と称されるとする。続けて、その伊豆志大神の娘の伊豆志袁登売神(いづしおとめのかみ、出石乙女)の神婚譚が記される[6]。
対して『日本書紀』垂仁天皇3年条[原 2]では、天日槍を同じく新羅王子とした上で、垂仁天皇(第11代)の時に渡来したとし、天日槍は将来した7物を但馬国に納めて永く神宝としたとする[7][4]。また同条の別伝では、日本に渡来した天日槍は初め神宝8種を天皇に献上したとし、さらに天皇から居住地として提示された播磨国宍粟邑と淡路島出浅邑は固辞したうえで、近江国・若狭国を経て但馬国に至り、そこで但馬国出島(出石に同じ)の太耳の娘の麻多烏(またお)を娶り、子孫を儲けたとする[7][4]。そのほか『日本書紀』垂仁天皇88年条[原 3]では、天日槍の将来した神宝を見たいと天皇が欲したので、曾孫の清彦に5物を献上させたとする。この時に5物とは別に「出石」という名の小刀1口があり、清彦は献上を望まず隠していた。清彦は結局これを献上したが、のちに自然と消え、淡路島で発見され祠に祀られたという。続けて系譜として、天日槍は但馬国の前津耳(さきつみみ)の娘の麻拖能烏(またのお)を娶り、子孫を儲けたと記される[8][4]。以上の一方、『日本書紀』では『古事記』にあるような出石神に関する具体的な記述はない。



参道狛犬(明治39年建立)



拝殿狛犬(年代不明)


朝鮮、新羅、アメノヒボコ・・・伝説の地を歩きながら古代朝鮮と但馬のつながりを想像したり。
そして参拝後は、

出石神社の北にそびえる中世山城「此隅山」を攻略します!! 次回へつづく