かつては一族で全国66箇国中11箇国の守護職を占め「六分の一殿」と称されて権勢を誇った山名氏の本城、此隅山を攻略!!
そして、応仁の乱では西軍の総帥となった山名宗全の本拠地でもあります。

山名 宗全 / 山名 持豊(やまな そうぜん/やまな もちとよ)は、室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清の娘。諱は持豊で、宗全は出家後の法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。
宗全は出石此隅山城に各国から集結した西軍を率いて挙兵し、京都へ進軍する。当初室町亭の将軍らを確保した勝元率いる東軍に対して劣勢であったが、8月には周防から上洛した大内政弘と合流し、一進一退の状況になる・・・。(Wikipedia)

但馬の守護所は平野部の九日市にあったが、守護代の垣屋氏におされた守護の山名氏は直割領で守りの堅い此隅山の城に拠点を移し、山麓に館を設け守護所を移した。
山名祐豊は、垣屋氏・太田垣氏・八木氏らを制し此隅山城を戦国大名山名氏の居城として確立させたが、永禄12年(1569年)、織田信長の家臣羽柴秀吉に攻められ落城。祐豊は、より急峻な有子山城に居城を移し、城は廃城となった。(Wikipedia)



北から南へ尾根沿いを進みます。

熊には遭遇せず・・・





主郭からの眺め

宗全も見た景色ですね・・・・その後、山名氏は没落します。