翌日、地下鉄に乗って九段下の靖國神社へ★
東京の思い出【靖国神社】 以来の参拝です。
最近読んでいる「めしあげ!!~明治陸軍糧食物語~ 」の影響で、軍隊ゆかりの「カレー」が食べたくなったのもあって靖國再訪となりました。

幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、嘉永6年(1853年)のペリー来航(いわゆる「黒船来航」)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀り、その柱数(柱(はしら)は神を数える単位)は2004年(平成16年)10月17日現在で計246万6532柱にも及ぶ(詳細は「祭神の内訳」を参照)。当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていたが、1904年(明治37年)から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。この語は直接的には幕末の藤田東湖の漢詩「文天祥の正気の歌に和す」の「英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり」の句が志士に愛唱されていたことに由来する[9]。
本殿での祭神の神座は当初は1座であったが、1959年(昭和34年)に創建90年を記念して台湾神宮および台南神社に祀られていた北白川宮能久親王と、蒙彊神社(張家口)に祀られていた北白川宮永久王とを遷座合祀して1座を新たに設けた。従って現在の神座は、英霊を祀る1座と能久親王、永久王を祀る1座の2座である。
- 祭神の内訳
祭神の主な内訳は、以下の通り(2004年(平成16年)10月17日現在)。戦争・事変名は靖国神社自身の表記に拠る[10]年代順ソート。 (Wikipedia)
| 戊辰戦争・明治維新 | 7751柱 | 新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊や新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。 | |
| 西南戦争 | 6971柱 | 政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。 | |
| 台湾出兵 (別名:征台の役) | 1130柱 | 遊就館の靖国の神々の一覧表では、「台湾討伐」とある。 | |
| 江華島事件 | 2柱 | [* 1] | |
| 壬午事変 | 14柱 | [* 2] | |
| 京城事変 (甲申政変) | 6柱 | [* 3] | 遊就館の「靖国の神々の一覧表」では、壬午事変、江華島事件、京城事変はなぜか一覧表にない。 |
| 日清戦争 | 1万3619柱 | ||
| 義和団事件 | 1256柱 | 遊就館の「靖国の神々」の一覧表では、「北清事変」とある。 | |
| 日露戦争 | 8万8429柱 | 常陸丸事件英国人船員は対象外。ただし、6月15日斎行の常陸丸殉難記念碑前での慰霊祭では、等しく慰霊されている。 | |
| 第一次世界大戦 | 4850柱 | ||
| 青山里戦闘 | 11柱 | ||
| 済南事件 | 185柱 | ||
| 霧社事件 | |||
| 中村大尉事件外 | 19柱 | [* 4] | |
| 満洲事変 | 1万7176柱 | ||
| 支那事変 (日中戦争) | 19万1250柱 | ||
| 大東亜戦争 (太平洋戦争) | 213万3915柱 | 第一次インドシナ戦争[* 5]などの「太平洋戦争後のアジア独立戦争」で戦没した者も含む。 | |
| 計 | 246万6584柱 |

靖國狛犬

中国獅子

拝殿参拝は断念して遊就館へ

幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した日本における「最初で最古の軍事博物館」[1]。
「遊就館」という名称は、『荀子』勧学篇の「君子居必択郷遊必就士」(くんしはおるにかならずきょうをえらびあそぶにかならずしにつく)に拠る。 (Wikipedia)
遊就館の有料展示へ・・・明治から昭和までの近代史を戦争の視点から回想できます。
2階から見るフリースペースからの風景↓

十五糎加濃砲・十五糎榴弾砲・零戦52型
2階通路に置いている、16世紀の大砲『国崩し』が印象的・・・島津軍が鹵獲したようです。




「実物」の展示室へ

大和型主砲弾の回想・・・戦艦大和主砲弾~長州:火の山公園~【豊前国紀行14】



41糎砲回想・・・企画展 戦艦「長門」と日本海軍(大和ミュージアム)&呉散歩





九七式中戦車の回想・・・帰還した九七式中戦車【甲州遠征道中記3】


桜花の回想・・・特攻兵器:桜花






今回もまた展示品鑑賞の時間不足・・・
あらためて明治維新から特攻敗戦まで・・・激動の近代史を振り返りました。
鑑賞回想が終わり、遊就館の喫茶室にて・・・


海軍カレーと海軍コーヒーで至福のひととき
