YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2011年10月

辻堂の習俗 4 岡山県

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先日、岡山県立図書館の蔵書検索をすると、この本が見つかりました
総社の図書館へ転送してもらって、今日、手元に届きました

この本は、備中の辻堂・四ツ堂を集めてあるみたいですよ

ざっとめくってみたのですが、備中にも結構あるじゃないですか~!
それで、総社市にも何ヵ所か写真と記述が~~

近いうちに探訪してみたいと考えています

第63回:正倉院展【奈良国立博物館】

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鹿とたわむれた後、念願の奈良国立博物館へ。

凄い行列~1時間待ちですよ・・・

蘭奢待

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蘭奢待(らんじゃたい、 蘭麝待とも表 記)とは香木の一種である。天下第一 の名香と謳われる。正式名称は黄熟 香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」 という名は、その文字の中に"東・大・ 寺"の名を隠した 雅名である。長さ 156cm、重さ11.6kgの錐形の香の原 木。その香は「古めきしずか」と言われる。紅沈香と並び、権威者にとって非常に重 宝された。

由来と歴史

東南アジア で産出される 沈香と呼ばれる高級香木で、 日本には9世紀頃に中国より伝 えられたとされる説が有力である。一説には『日本書紀 』や聖徳太子 伝暦の推古天 皇3年記述を云う説もある。 奈良市の正倉院の中倉薬物棚に納められており、これま で足利義満 、足利義教 、足利義政 、土岐頼武 、織田信長 、明治天皇 らが切り取ってい る。

平成18年(2006年)1月に 大阪大学 の米田該典 (よねだかいすけ准教授、薬史学)の 調査により、合わせて38ヶ所の切り取り跡があることが判明している。切り口の濃淡 から、切り取られた時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られることもある ため、これまで50回以上は切り取られたと推定され、前記の権力者以外にも採取され た現地の人や日本への移送時に手にした人たち、管理していた東大寺の関係者などに よって切り取られたものと推測される。(Wikipedia)

今、新幹線ー近鉄で奈良へ向かっています。
歴史サークルの会合があるのです

それで、その前に今日開幕の正倉院展に行きます
今日の注目展示は[らんじゃたい]ですよ~。
ちょっと予習でUPしてみます。楽しみです

でも、人出多そうですよね

領国図

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本棚を見ていたら、
ずいぶん昔に買った本「幕末維新ものしり事典 : 監修 奈良本辰也」が有るのを思い出し・・・
たしか江戸時代の藩の領国図が載っていたなあと。
そこで近所の藩をUPしてみます
最近、気になっている辻堂・四ツ堂に藩領が何か関連があるかなとか思ったり。
 
私の生活範囲の総社・倉敷は小藩や飛び地領が混在しているのです。
その辺りの詳細地図が何処かにないでしょうかねえ~
 
 

フリゲート艦 サスケハナ

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日本で は「蒸気船」 や「黒船」と いう呼 び名で 有名。 黒船の名の由来は木造の船体に塗られた防水・腐食 防止用のピッチによる。

帆走と外輪式蒸気機関 推進併用の、 3檣の機帆船で、艦種は フリゲート であ る。船体中央部に煙突を1本持つ。

就役後東インド艦隊の旗艦となった。 そして1853年、1854年に日本に来航。 その後1856年に地中海艦隊の旗艦となった。

1861年に南北戦争 が勃発するとアメリカに戻り、 大西洋封鎖艦隊に配属された。南北 戦争中は主に大西洋で活躍し、その後1868年に退役した。そして 1883年9月に売却さ れ、スクラップとなった。

ペリーが来航した 下田港には、この艦を模した遊覧船「黒船サスケハナ」が就航して いる。

なお、現代のフリゲートは 駆逐艦より小型の戦闘艦を意味するが、帆船時代のフリ ゲートは戦列艦に次ぐ大きさであり、またサスケハナのような蒸気フリゲートは帆走 の戦列艦に匹敵する大きさで、当時としては最大クラスの巨艦であった。(Wikipedia)


あなたが知らない船の話 :エピソード3

黒船来航大事件ですねえ
当時の人びとは、驚いたことでしょう。
4隻の艦隊:旗艦はサスケハナ号。
全長は約100m・・・千石船の3倍以上です。
大砲の射程は約1500m・・・日本の大砲は約500mで、これもまた3倍です。
勝負にならないですよ~
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