YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2012年09月

松永西を歩く[ブラ探訪記]

昨日のこと(9月29日)・・・
『備陽史探訪の会 http://bingo-history.net/の会員でもある
「西日本近代遺物探検隊(仮称)」のktgwkuj隊長からのお誘いで、
ぶらり・ゆったり『ブラ探訪』【松永西を歩く】に一般参加させていただきました☆
関係者の方々には大変お世話になりました♪ありがとうございました。


福山市松永・・・かつては「松永市」。福山と尾道の中間あたりです。
松永市(まつながし)は、かつて広島県に存在した市である。
1966年5月1日福山市と合併(新設合併)し、新たに福山市となった。ちなみに福山・松永両市の合併は中国地方では初めての市同士の合併であった。(Wikipedia)
イメージ 1
ブラ探訪・・・出発前の説明(JR松永駅北口)
歴史好き・探訪好きの方々が多数集まっています。
 
イメージ 2
駅から北へ向かう「大正町通り」・・・熱心な参加者の方々
 
立ち寄った「大明神社」・・・あっ!一等水準点だ☆
イメージ 8
水準点すいじゅんてん、benchmark)とは水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。水準点には国土地理院基本測量として設置・管理する「~等水準点」と、地方公共団体公共測量として設置・管理する「~級水準点」とがある。
水準点は海の潮位河川水位を知る水準基標又は水準拠標なども意味し、これらの意味が転じてコンピュータにおけるベンチマークという言葉遣いとして使われるようになった。
国土地理院が設置・管理する水準点は通常、国道、測量当時の旧国道や主要街道沿いに約2km間隔に埋設されており基準となる柱石又は金属標が設置されている。その数は基準、一等、二等、三等水準点合わせて約22,000点に及ぶ。(Wikipedia)
水準点は約2キロ間隔・・・現在の一里塚みたいな感じですかね♪
普段は全然気にしてないモノが見えてきます!
 
イメージ 9
石造物とかも気になりますね!
 
イメージ 10
大正~昭和を感じる風景が続きます☆
 
イメージ 11
「元マネキ洋品店」のハート窓・・・すばらしい造形美♪
 
イメージ 12
歴史を感じる井戸「寶井」
 
イメージ 3
ココにも井戸が・・・「荒川井戸」
 
井戸の上には「荒川稲荷」
備後に来たからには「尾道石工」の作品を鑑賞しなければ。
狛きつねさんが居ました!
イメージ 4
嘉十郎さんの作品(文久二年)
 
イメージ 5
荒川稲荷の遺物・・・一石五輪塔(棒状五輪塔)も!
 
イメージ 6
桝河跡(元溜井戸)・・・印象的な形状☆
 
イメージ 7
左 松永停車場 : 右 鞆街道 (大正二年)
移転を繰り返し、生き残ったJR松永駅近くの道標

 
以上、紹介したのは一部ですが「ブラタモリ風」の探訪・・・最高でした♪

B-1グランプリ優勝:ひるぜん焼きそば【ひるぜん探訪7】

やっぱり蒜山に来たからには、「ひるぜん焼きそば」食べに行かないとね♪
去年、秋に開催されたB-1グランプリでは見事優勝したのです
ということで、人気店のひとつ「やまな食堂」に行って来ました(^o^)
 
「ひるぜん焼きそば」
ジンギスカンのタレや味噌だれを用い、具材にカシワ肉(親鶏の肉)を使うことが特徴である。近年では蒜山高原産のキャベツも必須の食材となっている。昔からジンギスカンで有名であった蒜山地域では、家庭や店舗でもこのジンギスカンのタレを使い鳥肉を焼くことも多く、この鶏肉をおつまみに焼いていた時に、呑みの締めとしてそばを焼き入れたことが、ひるぜん焼そばの最初であるとも伝えられている。(Wikipedia)

イメージ 1
「やまな食堂」
岡山県真庭市蒜山上長田2050-2
 
イメージ 2
もちろん「ひるぜん焼きそば」を注文♪
 
イメージ 3
味噌だれの濃厚な味わい
 
イメージ 4
親鶏(かしわ)は歯ごたえがあって良い感じですね❤
 

充実したひるぜん探訪・・・終了です♪

天の真名井:塩釜の冷泉【ひるぜん探訪6】

いにしえの「演習場」を偲び、
「名水百選」のひとつ「塩釜の冷泉」に向かいます。
湧水好きのYAMATETSUとしては、ぜひとも行かなければなりません♪
何度か行ったことがあるのですが、今回は少し持って帰ろうかと。
でも・・・源泉は採水不可とのこと・・・
イメージ 1
 
イメージ 2
ひるぜん=たかまがはら説か!?
高天原(たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる日本神話、および祝詞において、天津神が住んでいる、とされた場所のことである。
古事記においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国生みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたのであろう。天照大神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。葦原中国が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降り(天孫降臨)、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。(Wikipedia)
 
いずれにしても・・・神聖な雰囲気がしますよ☆
イメージ 3
神々しい・・・みたいな
 
イメージ 4
清らかな冷たい水流
イメージ 5
 
ということで・・・茶店で売っていたペットボトルを買って、持ち帰ります!
イメージ 6
自宅で味わうドリップコーヒー
味わい深いですな~
 
 
ここで登場!ひるぜんの妖怪「スイトン」です♪
イメージ 7
和漢三才図絵には、木客(もっかく)とかヤマワルとか魍魎、水虎など、いろいろ恐ろしくもあり滑稽でもあり、時にはかわいらしくもある変なものが沢山載っている。
蒜山には古くから『粋呑(スイトン)』という怪物がすんでいた。
「スイトン」は人間が考えたり思ったりしていることがみんな分かるのである。だから、もし悪いことをたくらんだり、他人に迷惑をかけたりした者がいれば、どこからともなくスイーと現れ、トンと一本足で立った「スイトン」にたちまち引き裂かれ、食われてしまったという。
だから蒜山には悪人はいない。

演習場兵舎の通用門【ひるぜん探訪5】

演習場の石碑を確認して、目的は達成しました♪
次の「痕跡」へ向かいます!
石碑近くにある「蒜山高校」・・・そこには、かつて演習場の兵舎があったようです。
その兵舎敷地に設置された「通用門」が現在も残っています!
 
蒜山高校の校門左側・・・意外とシンプルな門柱が見えてきました。
 
イメージ 1
演習場通用門
イメージ 2
コンクリートの門柱(通用門の文字)
 
イメージ 3
現在も残る木造平屋一棟(兵舎あるいは付属施設)
 
それと・・・演習場の北方に「トーチカ」2基が残っているとのこと!
そのトーチカ・・・探したのですが、確認ならず・・・m(__)m
どうも、この辺りは別荘地で私有地が多くて立ち入り禁止!
不法侵入で通報されたら困るので・・・撤退しました。
 
せっかくなので、演習場北方から南方面の景色を撮影しました★
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6

幻の蒜山原演習場石碑【ひるぜん探訪4】

蒜山高原には、かつて帝国陸軍の演習場がありました!
演習場があったということは、あまり知られていないようで・・・というか誰も興味がないようですね。
そして、演習場の「痕跡」があるという情報を得て探索することにしたのであります。
その痕跡の中で「演習場の石碑」なるものを主目標としました。
事前にネット検索しても、石碑の写真はヒットならず・・・
もしかして、この石碑写真・・・WEB初登場かも知れません\(◎o◎)/!
イメージ 1
この地図の★の位置付近にあることは資料で確認していたのですが・・・
蒜山郷土館付近に到着した時点で、たまたま通りかかった郵便配達のおじさんに聞いてみました。
「このあたりに陸軍演習場の石碑がありませんか?」
「いや~・・・見たことは無いですねえ・・・」
=======================
いうことで、探索するしかないようです!
行ったり来たり・・・なかなか見付かりません・・・
相当時間が経過し・・・あきらめかけていた時・・・
ああっ!アレは!!
イメージ 2
遠くに見える楕円形の石碑らしきものが!
ついに発見!確認できました♪
 
イメージ 3
蒜山原陸軍演習場の石碑
 
イメージ 4
昭和十年十一月三十日 陸軍中将 建川美次書
 
イメージ 8
岡山県:川上村史より
 
かつて、このあたり一帯で演習が・・・感慨深いです。
 
時は流れ・・・石碑周辺の風景
イメージ 6
 
イメージ 5
 
イメージ 7
さわやかな高原の風景ですね★
 
演習の参考動画(栃木県宇都宮の特別演習)
プロフィール

yamatetsu

記事検索
アーカイブ
  • ライブドアブログ