YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2012年10月

大阪砲兵工廠の痕跡2/2【京阪探訪記8】

大阪砲兵工廠の石碑から「正門跡」へ進みます♪
イメージ 4
大阪砲兵工廠正門跡
イメージ 1
今も残る正門跡の石組とレンガ
 
正門から少し入ると・・・今にも崩壊しそうなレンガ造りの施設
イメージ 2
正門の守衛所
 
守衛所から北の方にはレンガ建造物があります。
イメージ 3
大阪砲兵工廠化学分析場
 
次のポイントに進む途中、新鴫野橋を北へ渡り
なんだか視線を感じるなあ~と思って見上げると猫さんがいました。
工廠の痕跡を巡る人間が珍しいと思ったのかどうか・・・
イメージ 5
工廠猫
 
第二寝屋川の北岸へ行くと・・・
かつて工廠の「荷揚げする門」があったという場所に到着!
イメージ 6
水上バスが門の前を通ります。
イメージ 7
大阪砲兵工廠荷揚門跡
 
そして、荷揚門から現在の大阪城ホールへ向かいます。
大阪城ホールには、かつて工廠の「本館」がありました。ホール横の石碑が唯一の痕跡。
イメージ 8
砲兵工廠跡
 
砲兵工廠の中心地・大阪城ホールは平和な雰囲気♪
イメージ 9
大阪砲兵工廠「本館跡地」
なんだか人がたくさん集まってますね~何かイベントがあるのかな??・・・・なんてね

大阪砲兵工廠の痕跡1/2【京阪探訪記7】

明からやってきた狛犬を鑑賞して・・・次は、いよいよ近代遺産の探訪です♪

大阪城公園には、かつてアジア最大の軍事工場:『大阪砲兵工廠』が有りました!
大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)ないし大阪陸軍造兵廠(おおさかりくぐんぞうへいしょう)は、大村益次郎の構想により大阪に作られた大日本帝国陸軍兵器工廠造兵廠)。太平洋戦争大東亜戦争)の敗戦による帝国陸軍の解体まで、大口径火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア最大の軍事工場であった。また、戦前中の日本では重工業分野においてトップクラスの技術や設備をもっていたため、官公庁や民間の要望に応えて兵器以外のさまざまな金属製品も製造していた。(Wikipedia)
 
大村益次郎・・・維新の功労者:村田蔵六先生です。四境戦争や上野戦争での指揮は素晴らしいですね。それに、変わり者というところが大好きです❤
大河ドラマ『花神』での一場面。重要軍事施設を大阪に造る…元々は薩摩対策だったのですね。
 
日本陸軍の創始者:蔵六先生は大阪を視察したあと京都で暗殺されてしまいます。
 
のちに工廠は大阪城の東側一帯に建設されました。
イメージ 1
ちなみに、現在のJR大阪環状線で大阪城公園駅のあたりが高架ではないのは、
工廠内を覗き見されないように壁を設置していたからだそうですよ。
 
陸軍唯一の大口径火砲製造拠点・・・このような大口径砲は砲兵工廠製です。
made in Osaka
イメージ 2
1942年に大阪陸軍造兵廠で製造され、第32軍直轄砲兵たる独立重砲兵第100大隊に配備され沖縄戦で活躍した八九式十五糎加農砲(Wikipedia)

昭和20年8月敗戦直前・・・大阪砲兵工廠は壊滅的被害を受けます。
 
8月14日午後約150機のB-29の集中爆撃で工廠は80%以上の施設が破壊されその機能を失った。 空襲による砲兵工廠構内での死者は382人だったと報告されている。だが、隣接地域を含めた犠牲者総数がどれだけの数に上ったのかはわからない。(Wikipedia)
イメージ 5
敗戦後の大阪【1948年】
 
そして現在・・・大阪城京橋口門から少し北へ移動すると「筋鉄門跡」の説明板があります。
イメージ 4
説明板の横を見ると…有りました♪
イメージ 3
砲兵工廠の石碑

明からやってきた狛犬【京阪探訪記6】

博物館でランチを満喫して、大阪城公園の西側を北上します!
あらためて感じましたが、大坂城は広いですね~~
火縄銃では攻略できませんな。広い堀と重厚な石垣・・・やはり大筒で・・・
とか、そんな事を想いながら・・・そろそろ足が痛くなってきましたよ。
なぜココを歩いているかというと・・・
 
なんと、大坂城公園内に中国製の狛犬さんが居る
との情報を入手してやってきたのです♪
(中国製とは言っても、最近の量産輸入品ではありません)

イメージ 1
西外堀から大坂ビジネスパーク方面を眺めながら
 
イメージ 5
京橋口門へ入り、巨石群の横を通り抜けると・・・
あ!見てきました♪
 
イメージ 6
中国:明の時代からやってきた狛犬一対(両方阿形)
(みん、1368年 - 1644年)は中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。
朱元璋を北へ逐って建国し、滅亡の後にはが明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。(Wikipedia)
イメージ 7
日中戦争中の戦利品・・・略奪品ですね。
明時代の文化遺産・・・それ以上の情報が有りません。
皇帝陵墓の参道とかに有ったものでしょうか?
もともと、どのような状態で設置してあったのか気になります。
 
イメージ 3
向かって右側の狛犬さん
イメージ 4
頭部拡大・・・たぶん大理石製でしょうね。
 
イメージ 9
向かって左側の狛犬さん
イメージ 8
後ろから・・・頭髪が良い感じ。
 
イメージ 2
中日友好・・・これからも狛犬さんは大阪に
 
狛犬の近くから眺める大阪城天守は最高です★
イメージ 10
石垣と天守のベストアングル(個人的感想)

狛犬同好会:登録OK♪

ウクライナの至宝-スキタイ黄金美術の煌めき-【京阪探訪記5】

西国街道を歩いてJR山崎駅から大阪へ引き返します
スキタイ(騎馬民族)に関する特別展が大阪であるという情報を入手していたのです♪
司馬遼太郎の影響から騎馬民族に興味があるYAMATETSUとしては、
是非行ってみなければなりません★
特別展をしている大阪歴史博物館は大阪城近くの南西方向にあります。

イメージ 1
大阪歴史博物館では、平成24年9月15日(土)から11月25日(日)まで、6階特別展示室において、特別展「ウクライナの至宝-スキタイ黄金美術の煌めき-」を開催します。
ウクライナは日本から約8,000km西に位置する国で、東側にはロシア連邦、西側ではポーランドに接し、黒海をはさんで南側にはトルコ共和国があります。昨年は独立20周年に当たり、今年は日本との外交関係樹立20周年となります。これを記念して、ウクライナ国立歴史博物館およびウクライナ歴史宝物館が所蔵する国宝級の資料を展示公開します。
展示では、紀元前8世紀頃に遊牧民戦士として恐れられたキンメリオイや、そのキンメリオイを倒して紀元前7~3世紀に黒海北岸に勢力をもったスキタイ、スキタイと共存していたギリシャ系都市国家、あるいはスキタイをこの地から追い出したサルマタイ、さらにはその後の数々の遊牧民族、黒海からバルト海までを領域としたキエフ=ルーシ、ロシア帝国時代のウクライナなど、時代・民族・文化ごとの特徴的な資料約220点が一堂に並びます。
イメージ 9

イメージ 2
大阪歴史博物館と隣のNHK大阪
イメージ 3
イメージ 4
スキタイ黄金製品の拡大版・・・なんともいえない造形美
 
そして・・・今回の展示で、凄く印象に残ったのがスキタイの石人★
スキタイの古墳の上に設置するという石造物!
撮影不可のためWEB内で探してきました。展示担当の方のブログです。
 
イメージ 5
併設のレストランには関連メニューが!
これは食べてみないと♪
ボルシチって食べたことないけど・・・ウクライナ発祥なんですね。
イメージ 7
イメージ 6
黒海北岸の草原と騎馬民族を想いながら・・・味わいました♪

イメージ 8
NHKにはハロウィンどーもくん

邪馬台国の時代-吉野ヶ里から唐古・鍵、纏向まで-

昨日、岡山県立博物館へ行ってきました♪
古代史ファンのYAMATETSUとしては是非行かなくてはいけません!

イメージ 1

邪馬台国がどこにあったか・・・
永遠の謎のままの方がいいかなと想いはじめてきた、今日このごろ・・・
今回の展示は「大和」・「北部九州」
そして「吉備」の遺物を集めている貴重な機会です♪
 
今回の展示で印象に残った一品は・・・
国内最大の銅鏡です!
国宝・・・直径46.5cm・・・約8㎏
平原遺跡出土(平原一号墓)
記紀の八咫鏡(やたのかがみ)と同型とか!
イメージ 2
超大型内行花文鏡(11号鏡)
通常の三角縁神獣鏡とかの約8倍くらい?の印象です★
この大きさは何を意味しているのでしょうか??
いずれにしても、感動しました♪
 
それから、箸墓幻想でホケノ山古墳から出てきたという重要物件、
画文帯神獣鏡の複製品も有りました!
なんだか知り合いに出会ったという感じで・・・良かったです★

この日、ちょうど関連行事があるとのことで、時間を合わせて行きました。
イメージ 3
第1回「邪馬台国と大和」の聴講です★
第2回と第3回も行きたかったのですが他の予定が・・・
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
とても興味深い講演でした★
 
やはり、纒向遺跡の都市建設に
吉備が大きく関与したのは間違いないようですね♪
 
さすがに纒向遺跡=邪馬台国だとは考えておられないようです。
(というか、発掘担当の立場からは言えないのかな)
プロフィール

yamatetsu

記事検索
アーカイブ
  • ライブドアブログ