
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
心ならずも京から江戸の将軍家へ嫁がされた悲劇の皇女和宮。その和宮を卒論のテーマに選んだ美雪の実家は、降嫁行列最大の難所であった木曽路の馬篭にあった。調査のため帰省した美雪は、母親が殺人の嫌疑をかけられていることに驚く。一方、別の殺人事件を調査していた浅見光彦も、被害者の出身地・木曽の妻篭へ向かっていた。同じ時期、雨の夜に起こった二つの殺人、そして妻篭で作られた和宮の柩と、東京・芝の増上寺にある墓に納められた柩-。伝説と事件の謎を大胆な発想で解き明かす歴史ミステリー。
心ならずも京から江戸の将軍家へ嫁がされた悲劇の皇女和宮。その和宮を卒論のテーマに選んだ美雪の実家は、降嫁行列最大の難所であった木曽路の馬篭にあった。調査のため帰省した美雪は、母親が殺人の嫌疑をかけられていることに驚く。一方、別の殺人事件を調査していた浅見光彦も、被害者の出身地・木曽の妻篭へ向かっていた。同じ時期、雨の夜に起こった二つの殺人、そして妻篭で作られた和宮の柩と、東京・芝の増上寺にある墓に納められた柩-。伝説と事件の謎を大胆な発想で解き明かす歴史ミステリー。
皇女和宮の足跡を追う・・・以下のような事実を元につくられた小説
和宮が埋葬された増上寺の徳川家墓所は、現在の東京プリンスホテルの場所にあったが、1950年代に同地が国土計画興業に売却されたため、和宮をはじめ、歴代将軍及びその正側室の墓所と遺骸も発掘・改葬された。その際の調査結果をまとめた『増上寺徳川将軍家墓とその遺品・遺体』によると、和宮の血液型はA型かAB型で、身長は143.4cm、体重34kg(いずれも推定)であり、骨格の形状から極端な反っ歯と内股が特徴の小柄な女性であったと推定されている。また不思議なことに、左手の手首から先の骨がいくら探しても見つからなかった。増上寺にある和宮の銅像や日本女子会館にある和宮の銅像も左手は不自然に隠れており、また肖像画には左手が描かれていないことから、彼女が生前何らかの理由で左手首から先を欠損していたのではないかとの推測もある。
また、和宮の棺からは烏帽子に直垂姿をした若い男性の写真乾板が副葬品として見つかったが、その後の保存処理が悪かったため、翌日には乾板はただのガラス板になっていたという。この男性の正体は未だに不明であるが、夫の家茂である可能性が強い。あるいは婚約者だった有栖川宮熾仁親王ではないかとの指摘もある。(Wikipedia)
なにか神秘的な存在の和宮・・・馬籠と妻籠にも行ってみたくなりました★
(幼少の頃・・・何かのツアーで行きましたが・・・)
着物で巾着さんが以前、馬籠と妻籠に行かれて、
きれいな写真とともにUPされていたので無断リンクします♪