YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2012年12月

皇女の霊柩

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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
心ならずも京から江戸の将軍家へ嫁がされた悲劇の皇女和宮。その和宮を卒論のテーマに選んだ美雪の実家は、降嫁行列最大の難所であった木曽路の馬篭にあった。調査のため帰省した美雪は、母親が殺人の嫌疑をかけられていることに驚く。一方、別の殺人事件を調査していた浅見光彦も、被害者の出身地・木曽の妻篭へ向かっていた。同じ時期、雨の夜に起こった二つの殺人、そして妻篭で作られた和宮の柩と、東京・芝の増上寺にある墓に納められた柩-。伝説と事件の謎を大胆な発想で解き明かす歴史ミステリー。

皇女和宮の足跡を追う・・・以下のような事実を元につくられた小説
和宮が埋葬された増上寺の徳川家墓所は、現在の東京プリンスホテルの場所にあったが、1950年代に同地が国土計画興業に売却されたため、和宮をはじめ、歴代将軍及びその正側室の墓所と遺骸も発掘・改葬された。その際の調査結果をまとめた『増上寺徳川将軍家墓とその遺品・遺体』によると、和宮の血液型A型かAB型で、身長は143.4cm、体重34kg(いずれも推定)であり、骨格の形状から極端な反っ歯と内股が特徴の小柄な女性であったと推定されている。また不思議なことに、左手の手首から先の骨がいくら探しても見つからなかった。増上寺にある和宮の銅像や日本女子会館にある和宮の銅像も左手は不自然に隠れており、また肖像画には左手が描かれていないことから、彼女が生前何らかの理由で左手首から先を欠損していたのではないかとの推測もある。
また、和宮の棺からは烏帽子直垂姿をした若い男性の写真乾板副葬品として見つかったが、その後の保存処理が悪かったため、翌日には乾板はただのガラス板になっていたという。この男性の正体は未だに不明であるが、夫の家茂である可能性が強い。あるいは婚約者だった有栖川宮熾仁親王ではないかとの指摘もある。(Wikipedia)
 
なにか神秘的な存在の和宮・・・馬籠と妻籠にも行ってみたくなりました★
(幼少の頃・・・何かのツアーで行きましたが・・・)
 
着物で巾着さんが以前、馬籠と妻籠に行かれて、
きれいな写真とともにUPされていたので無断リンクします♪

エースコインと「洪武通宝」

以前、ktgwkuj隊長が紹介されていたエースコイン・・・僕は、どうも食べた記憶がないし近所にも売ってないと思っていました。それで、隊長からプレゼントしてもらって食べてみたのですが、意外と美味しかったのです(^o^)
しばらく経って・・・近所のスーパーの中を歩いていると・・・
なんと!売っているではありませんか\(◎o◎)/!自分が知らなかっただけのようです・・・(T_T)
早速、リッチな気分になるべく購入したのであります!
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古銭をかたどったミルク風味のビスケット
・・・富本銭とかもあるし・・・歴史ロマンに浸ることが出来ますね(^o^)
 
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食べながら眺めていると・・・やはり気になるのが、
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「洪武通宝」
中世の日中交流・・・明の初代皇帝(洪武帝)・・・歴史を感じますねえ・・・
質感が良い感じ~海を渡って戦国時代に日本で流通したものでしょうか。
この洪武通宝、以前から裏の文字が気になっているのです。
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何と書いてあるのでしょうか読めません・・・

2012年12月23日追記:お茶のまず博士さんのレポート

442部隊とダニエル・イノウエ

岡山在住の近代史研究家:miyeke先生から情報をいただきました★
「元442部隊の将校で最古参の上院議員・ダニエル・イノウエが亡くなった」ということです。
人種差別を乗り越え、日系人でありながら米大統領の継承者第3位にまでなった
米陸軍最強442部隊の将校・・・


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ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエDaniel Ken "Dan" Inouye、日本名:井上 建(いのうえ けん)
ハワイ大学在学中の1941年12月に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後は日系アメリカ人として人種差別待遇を受けるものの、アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦う。
イタリアにおけるドイツ国防軍との戦いにおいて、1945年4月21日に右腕を失い、1年8ヶ月に亘って陸軍病院に入院したものの、多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる。1947年に陸軍大尉として名誉除隊した。(Wikipedia)
 
忠誠心を示すために志願・・・日系人は難しい立場だったでしょうね。
 
442部隊(第442連隊戦闘団) 標語:Go for broke!(当たって砕けろ!)
第442連隊戦闘団(だい442れんたいせんとうだん : 442nd Regimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊。ただし士官はその限りではない。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。アメリカ合衆国史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる。(Wikipedia)
 
激戦の欧州戦線・・・もっとも多くの勲章の代償ですが、すさまじい死傷率です。
 
『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』(2010年11月13日公開)
 
※そして・・・ダニエル・イノウエの原作を元にして、渡辺謙監督での映画化の話が進行しているらしいです!日米開戦からトレーニング、ハワイ系とそれ以外の日系人の対立と和解などを経て、ヨーロッパ戦線での戦いまでを追う内容になるとか!?まだ映画化が決まったわけじゃないのかな?

池田家の明治維新

先日(15日)、岡山市「林原美術館」の企画展に行って来ました★
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企画展「池田家の明治維新」
幕末期に岡山藩主をつとめた、第8代藩主池田慶政、9代茂政、10代章政の事績を振り返るとともに、近代になり華族となった池田家が、自家の文化財をどのように維持・管理していたのかを明らかにし、文化財を守り伝えることの意義を考えます。
※当館所蔵の「一橋(徳川)慶喜書状 池田茂政 松平余四麻呂宛」(文久3年5月15日)をはじめ、「岡山藩知事任命書」(明治2年)、ボンボニエール(明治33年、東宮慶事の際に下賜)、大礼服など、25点の関係資料を初公開いたします。
また『信長記』(重要文化財:岡山大学附属図書館所蔵)も展示いたします。


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岡山藩知事任命書
廃藩置県の前の「版籍奉還」時の藩知事(知藩事)任命書です。事実上は藩が存続してますね。
この時点で、すでに「幕府直轄領(天領)」などは「県」になっていました。(例)倉敷県など
 
版籍奉還(はんせきほうかん)は、1869年7月25日明治2年6月17日)に、日本明治政府により行われた中央集権化事業の1つ。諸大名から天皇への領地(図)と領民(戸)の返還。発案は姫路藩酒井忠邦
版籍奉還は廃藩置県までの過渡的措置であるが当時藩に対する明治政府の権力は脆弱で、諸藩への命令も強制力のない太政官達で行うしかなかった。そこで、版籍奉還を行って藩統制に強力な法的根拠を持たせようとした。(Wikipedia
 
岡山藩の幕末維新といえば、9代藩主:池田茂政は15代将軍:徳川慶喜の実弟で難しい立場だし、
「倉敷浅尾騒動の鎮圧出兵」「備中松山藩の追討」「神戸事件」など・・・結構事件が有りましたね

一元~あっさり絶品スープ~

岡山カツ丼・ラーメン紀行です♪
行列ができる「やまと」にも行ったし、他のところも味見してみようかなと思っていました。
ということで、先日・・・「やまと」のななめ向かい側にある老舗に行って来ましたよ!
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中華そば 一元
 
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「とんかつそば」というのも気になるなあ~!
たぶん、こんな感じのラーメンです⇒http://blogs.yahoo.co.jp/yamatetsu1441/1684635.html
 
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中華そばとデミカツ丼のセットを注文★
 
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絶妙な味わい:あっさりスープ
 
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ソースの味・・・やはり、店によって違いますねえ~!
そして、ふたたび登場
デミかっちゃん(おかやまデミカツ丼応援隊)
 
それと、ローカルテレビ番組で放送された一元
岡山ラーメンOH!援団
う~ん・・・五目そばにしとけばよかったかも・・・
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