1月1日・・・2013年の朝が来ました

この日の主目的は「山の辺の道散策」です♪
橿原神宮前駅から近鉄で桜井駅へ
桜井駅でJRに乗り換え「万葉まほろば線」で北上。
「巻向駅」で下車・・・駅名だけでワクワクしますね★

JR万葉まほろば線:巻向駅

現在地は「纒向遺跡」の推定範囲の中です♪
纒向遺跡または纏向遺跡(まきむくいせき)は奈良県桜井市、御諸山(みもろやま)とも三室山(みむろやま)とも呼ばれる三輪山の北西麓一帯に広がる弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡である。建設された主時期は3世紀で、前方後円墳発祥の地とされている。邪馬台国に比定する意見もあり、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳を持つ。(Wikipedia)
遺跡範囲内にある6つの古墳ですが、今回訪ねたのは2つです。
まず向かうのは「箸墓古墳」・・・駅から南へ向かって歩くと、
古墳の後円部が見えてきました!

纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳である。この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)説もある。従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にずれがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定を反映して古墳時代の開始年代を従来より早める説が提唱されており、箸墓古墳の築造年代を卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説も出てきている。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。(Wikipedia)
前方部へ周ります。

倭迹迹日百襲媛命:大市墓

宮内庁管理・・・この掲示板があると立ち入り禁止
聖域・・・つまり発掘できないということですね。
いつも想うのですが、宮内庁は何か隠しているのでしょうか?
古代史・・・あるいは日本史がひっくり返るような秘密があるとか?
いつの日か発掘して欲しいです!

全長約280メートル(戦艦大和とほぼ同じ長さ)
最古級の前方後円墳
やはり、形状から楯築遺跡との関係を連想してしまいます。

箸墓古墳の境界石を見付けました

年代不明ですが・・・戦前、たぶん昭和初期か。
境界石愛好家のYAMATETSUは、少し興奮したのであります★