YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2013年07月

ユンカース G.38・・・気になってみたり

「風立ちぬ」で登場したユンカースの大型機\(◎o◎)/!
印象的だったので動画を探して鑑賞♪
ユンカース G.38Junkers G.38は、1929年に初飛行を行った[1]ドイツの大型4発の旅客機/輸送機である。ドイツで2機の試作機が製作され、第二次世界大戦以前の数年間ヨーロッパで民間輸送業務に携わった。
1930年代にG/38は三菱重工業ライセンス生産が行われ、6機が製造された。この軍用爆撃機/輸送機はキ-20と命名された[2]。⇒九二式重爆撃機
浜松飛行場での九二式重爆
G.38は7名の搭乗員で運用された。主翼内を通って4基のエンジン全ての元へ行くことのできるG.38のブレンデッドウィングボディ設計により機上整備員は飛行中にもエンジン整備が可能であった[1]。(Wikipedia)


『宮崎駿の雑想ノート』も気になります!
意外にも県立図書館に有ったので、とりあえず予約しました\(^o^)/

零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~(予告)

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忘れないように録画しないとね\(◎o◎)/!

三州吉良殺人事件

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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
母・雪江の発案で三河への旅に出かけた名探偵・浅見光彦。旅先の「殉国七士の墓」で出会い、ふたりに説教までした愛国老人が、翌日吉良町の海岸で死体となって発見された。全身には高い崖から転落したと思われる激しい打撲の跡があった。しかし、現場にはそのような断崖はない。となると、まるで「名も知らぬ遠き島より…」と島崎藤村の詩にも歌われた椰子の実のように、死体は別の場所から流れ着いたのだろうか。一体犯行現場はどこなのか!?一度は警察に疑いをかけられた浅見光彦が、美しい海岸に仕掛けられた完全犯罪と、その背後に隠された悪意に迫る、傑作長編旅情ミステリー。


吉良といえば「吉良上野介」ですね
忠臣蔵の「悪役」として有名な義央の評価は芳しくない。一方、領地三河国幡豆郡では、貞享3年(1686年)に築いた黄金堤による治水事業や富好新田をはじめとする新田開拓や人柄から名君とされ、地元では慕われていると言われてきた。吉良町には赤馬という郷土玩具が存在するが、これは義央が赤馬に乗って領内を視察したのを機に作られた玩具だとされる。(Wikipedia)
 
そして、今回初めて知ったのは
「殉国七士の墓」・・・物議をかもす存在のようです。
殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)は、愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山にある東京裁判判決に従い、死刑執行されたA級戦犯の7名を祀っている。
地元の形原町役場には「明るく楽しい観光地におくとは何事だ。平和な三河山頂に、暗い恥ずかしい思い出につながる記念碑を建てるのは、許すことは出来ない」などといった投書が殺到し、アメリカ国務省も懸念を表明した[1]が、幡豆町側の「一躍有名になれば観光価値からいっても上々だ」という意見もあり[1]1960年8月16日に墓前祭が実現した。

風立ちぬ

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●大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。
◆宮崎駿監督がゼロ戦の設計者・堀越二郎と作家の堀辰雄をモデルに、1930年代の日本で飛行機作りに情熱を傾けた青年の姿を描くアニメ。美しい飛行機を製作したいという夢を抱く青年が成し遂げたゼロ戦の誕生、そして青年と少女との出会いと別れをつづる。主人公の声には『エヴァンゲリオン』シリーズなどの庵野秀明監督を抜てき。ほかに、瀧本美織や西島秀俊、野村萬斎などが声優として参加する。希代の飛行機を作った青年の生きざまと共に、大正から昭和の社会の様子や日本の原風景にも注目。


「零戦」の流れで『風立ちぬ』、昨晩レイトショー鑑賞へ♪
綺麗な映像と素晴らしい物語・・・語りつくせません
表現力不足のため、他のブログ記事等を参照ください
 
印象的なフォルムの・・・
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九試単座戦闘機
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九試単座戦闘機(きゅうしたんざせんとうき)は、後に九六式艦上戦闘機として採用された単座戦闘機の試作名称。
1934年(昭和9年)、三菱航空機中島飛行機の両社に試作指示が出され、1935年(昭和10年)に試作機が完成。審査の結果、三菱機が採用された。日本海軍初の全金属単葉戦闘機であり、それまでは外国機のコピーの域を出なかった国産機が一躍世界水準を超えることになったエポックメイキングな機体である。また三菱機の設計を堀越二郎(後の零式艦上戦闘機設計者)が行った。
 三菱の試作機は都合6機製作されたが、最初の試作一号機は逆ガル型の主翼を持ち、続く試作機や量産された九六式艦上戦闘機とはかなり印象が異なる機体であった。実質的に九六艦戦の原型となったのは逆ガル翼を廃した試作二号機である。日本で初めて全面的に沈頭鋲を採用した機体でもある。(Wikipedia)
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映画・・・最後の場面の会話が、心に刻まれました

大空のサムライ~かえらざる零戦隊~(著者:坂井三郎)

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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
紺碧の空に生き、紺碧の空に死することを、みずからの天命と思い定めて“不惜身命”のつばさの血戦場に出撃すること二百余回、敵機大小六十四機を撃墜してみごとにおのれ自身に勝ち抜いた日本のエース・坂井が書き綴った痛烈、豪快、勇壮なる零戦空戦記録の決定版。零戦と空戦に青春を賭けた強者の迫真の記録。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 苦しみの日は長くとも/第2章 宿願の日来たりて去る/第3章 ゼロこそ我が生命なり/第4章 死闘の果てに悔いなし/第5章 孤独なる苦闘の果てに/第6章 迫りくる破局の中で/第7章 大空が俺を呼んでいる
坂井 三郎さかい さぶろう1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、大日本帝国海軍戦闘機搭乗員(パイロット)。太平洋終戦時は海軍少尉、最終階級は海軍中尉。終戦までに大小多数の撃墜スコアを残す日本のエース・パイロットとして知られる。戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』は世界的ベストセラー。(Wikipedia)

堀越二郎の著作「零戦」を読んだ流れで、
大空のサムライです♪
南方戦線・・・零戦21型、緒戦優勢の空戦記録が印象的。
 
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今日の夜は、いよいよ「風立ちぬ」鑑賞です★
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