YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2014年01月

山崎藩陣屋門【播州宍粟郡ドライブ2/3】

 山崎に到着して、官兵衛ゆかりの地へ!
ということにしたかったのですが、
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山崎を領していた天正8年から天正15年までの
居城(居住地)は不確定なのです。
秀吉の天下統一過程の時期ですから、
軍師としては多忙だったことでしょう。
まあ、ほとんど山崎には居なかったでしょうね。 
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歴史マップにも出ていますが、 
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篠ノ丸城が有力候補らしいです。
しかしココは山城なので、省略しました(^_^;)
司馬遼太郎も行ってないし。
「街道をゆく」でも立ち寄っている山崎藩陣屋門を鑑賞しつつ、
官兵衛の山崎に想いを馳せたのでした
 
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別名「鹿澤城」 
山崎城は、播磨国宍粟郡山崎(現在の兵庫県宍粟市)にあった平山城。別名:鹿沢城・山崎陣屋
中世後期の山崎の地には赤松氏傘下の釜内氏が篠の丸山に築いた篠の丸城があったが、1580年(天正8年)に羽柴秀吉によって攻め落とされた。その後、神子田正治黒田孝高木下勝俊が城主となった。木下勝俊時代の1587年(天正15年)に篠の丸城の南側、現在の山崎城の場所である鹿沢の地に城を築いたとされているが、鹿沢には羽柴氏以前より城砦があったとする説もある。(Wikipedia)
 
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山崎藩(やまさきはん)播磨国宍粟郡周辺を領有した。藩庁として山崎(現在の兵庫県宍粟市山崎町)に山崎陣屋が置かれた。宍粟藩(しそうはん)とも呼ばれる。
姫路藩初代藩主池田輝政の四男輝澄元和元年(1615年)3万8千石を与えられ鹿沢(山崎)に陣屋を構え当藩が立藩した。
(略)・・・延宝7年(1679年大和国郡山藩より本多忠英が1万石で入封し、明治維新まで在封した。忠英の長男は越後国村上藩本多忠良となったため、2代には次男の忠方が当てられた。忠方は早世し、3代は忠英の三男忠辰が嗣いだ。
8代・忠鄰藩校「思斎館」を開き、藩財政再建にも尽力した。しかし、幕末の動乱の中、第一次長州征伐等に出兵、藩費支出が重なった。このため遂に第二次長州征伐、鳥羽・伏見の戦いには戦費不足から出兵できない事態に陥った。
明治4年(1871年廃藩置県により山崎県となった。その後、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入された。(Wikipedia)

官兵衛ゆかりの地へ【播州宍粟郡ドライブ1/3】

今月初頭(1月4日)のこと、思い立って愛車でドライブに行きました♪
 
昔から・・・ずいぶん前から少し気になっていたのです。
 
司馬遼太郎の「街道をゆく」
『播州揖保川・室津みち』
を読んで
室津や龍野方面には行きましたが、
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この方面・・・山崎と一の宮に行ってないし
 
『播州揖保川・室津みち』より
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そう、僕も気になっていたのです
 
『播州揖保川・室津みち』より
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官兵衛居城の地だし、行ってみねばと思いつつ出発しました♪
 
気ままな気晴らしドライブ
良い感じですね~
(運転中は聴くだけですよ)
感動したり泣いたりしながら・・・
 
岡山から山陽自動車道を一路東へ
姫路西ICから国道29号(因幡街道)を北上 
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播州・宍粟郡山崎に到着しました♪
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現在は平成の合併で「宍粟市」になっています。
宍粟市(しそうし)は、兵庫県中西部に位置する西播磨に属する。2005年(平成17年)4月1日に宍粟郡の4町(山崎町一宮町波賀町千種町)が合併して誕生した。人口は県内41自治体中第25位、面積は豊岡市に次ぎ県内第2位である。(Wikipedia)
 
次回へつづく

記念講演会『古代史研究の現状』~備陽史探訪の会:新年度行事~

昨日(1月25日)、福山市の備後遺族会館にて
昨年度につづき、『備陽史探訪の会』新年度行事に参加しました♪
 
古代史ファンとしては、楽しみにしていた講演会からイメージ 1
「七五三」と聞くと、皆さんは千歳アメを持った子どもの姿を想像されることでしょう。
しかし、日本古代史を研究する者は違います。
日本の古代国家の成立は、三世紀(卑弥呼の時代)なのか、五世紀(応神・仁徳の時代)なのか、はたまた、七世紀(大化の改新の時代)なのか。これが「七五三論争」と言う、現在の古代史研究の大きなテーマです。
今回は、最新の考古学の成果を元に、改めて、日本の古代国家の成立という「壮大な」お話をしてみようと思います
 
古墳研究部会(古代史部会)の網本先生の講演です。
昨年は、
金田一耕助(横溝正史)研究の第一人者でもあられる先生の
講演の聴講に行きましたが、
今回は、
「古代史・古墳」について。
これもまた興味深い内容で、一言では感想を言えませんが、
古代史というのは、
まさに「ミステリー」だ!とあらためて感じました。
自分自身も探偵のひとりになろうと想ったり
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つづいて総会
そして新年会という流れで・・・
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初めてお会いする方々と、いろいろと話が出来てよかったです★
 
 
網本先生から情報をいただいた本
早速注文しました

イノダコーヒ本店~昭和15年創業の老舗の味わい~【冬の京都散歩19】

二年坂から祇園を抜けて四条通、
鴨川を渡り河原町へ歩いて戻ってきました。
さらに三条方面へ・・・目的地は、
「イノダコーヒ本店」
かつて池波正太郎も常連だったという老舗で
コーヒータイムです♪
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イノダコーヒ本店
京都市中京区堺町通三条下ル道祐町140

イノダコーヒ京都市に本店・本社を置くコーヒーチェーン店株式会社イノダコーヒが運営している。イノダコーヒーと書かれる場合もあるが、正式名称には末尾の長音符は付かない。赤いコーヒーポットの絵柄が商標に使われている。また、画家でもあった創業者の猪田七郎が描いた「豆を運ぶロバと男」の絵も同社の象徴である。
自社の焙煎工場とケーキ工場を有し、特にコーヒー豆や挽いた粉については店頭だけでなく全国各地の百貨店スーパーマーケット茶葉店などでも販売されている。「アラビア真珠」と名付けたブレンドのコーヒーが特に有名。自社の店頭やオンライン通信販売ではコーヒー以外にも、コーヒーカップなど食器類・アクセサリといった商品を取り扱っている。(Wikipedia)
 
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店内に入ると満員!少し並んで待ちました。
 
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アラビアの真珠
 
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紀元2600年
 
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チーズケーキもセットで
老舗の味と風景を満喫したのでした
 
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土産は「アラビアの真珠」
 
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ということで、
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恒例の京ばあむと
 
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かめやまの竹箸も入手して
 
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伏見の酒も買ったし、良かった良かった
 

以上、【冬の京都散歩】終了です!
次回京都に行くのは、いつのことでありましょうか

三年坂・二年坂の風景【冬の京都散歩18】

司馬遼太郎先生の墓参を終えて、
三年坂方面を歩いてみようかなと♪
元日の京都・・・さすがに凄い人出ですね\(◎o◎)/!
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三年坂と紀元2600年記念碑
 
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二年坂
 
横山ゆいはんが紹介していた店に立ち寄りました。
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 かめやま
さきの細い 竹のお箸
軽くて、食べやすい竹のお箸。特に最近は、先の細いお箸が超人気!
一度お豆さんをつまんでみて下さい。びっくりするくらい上手に使えますよ。
ということなので、ゆいはんと同じのを
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 買ってみました~★ 
使ってみたら良かったです♪
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