YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2014年04月

『軍隊手帳』~第12回おかやま骨董アンティーク市~

 先日(12日)、気が向いたので行ってみました♪
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
美術館的な感じで鑑賞して
 
以前から、気になっていた『軍隊手帳』を数冊見つけて魅入ってしまったり。 
 
その中のひとつ↓
イメージ 4
軍隊手帳(ぐんたいてちょう)とは軍人が所持する手帳のことである。軍人手帳(ぐんじんてちょう)と呼ばれることもある。多くの国の軍隊で採用されており、軍人としての身分証明書履歴書を兼ねたものが多い。その他、軍人としての心構えなどが書かれていることも多い。「軍隊手」とも表記する。
日本軍の軍人は手帳の記載事項を全て暗記することを要求された。
戦後に傷病兵への年金支給の申請に軍隊手帳が必要書類となったが、紛失していたケースが多発したため申請時にトラブルになった。
手帳の中には以下のようなものが書かれていた。
  • 所属連隊の証明印影
  • 軍人勅諭(昭和期のものは明治、大正、昭和天皇の三種)
  • 教育勅語
  • 軍人読法
  • 誓文
  • 軍隊手帳に係る心得
  • 戦陣訓 1942年以降の版に掲載。
  • 経歴  入隊から除隊までの経歴や賞罰などが詳細に書かれている。
部隊号、兵科、階級、得業、戦時着装被服のサイズ(帽、衣袴、外套、靴)、本籍、住所、氏名、生年月日、身長など(Wikipedia) 
イメージ 5岡山・・・邑久郡・・・福岡!
今年注目されている「黒田官兵衛」、そして筑前福岡ゆかりの??
確認してみると、そのようです。思わず購入しました。
長船町福岡・・・かつては備前国上道郡、後に分割されて上東郡、さらにその後邑久郡に所属しており、中世から近世においては山陽道宿場町市場町として栄えた。
現在は吉井川の東岸(旧邑久郡)に位置するが、江戸時代以前に吉井川の流路が変わる以前には、同川の右岸(旧上東郡)に属していた(変更時期は不詳)。ただし、現在の吉井川西岸地域(岡山市東区上道地区東南部)の一部も流路変遷以前は福岡の範囲内であった。
1889年6月1日 - 邑久郡福岡村、長船村、八日市村、服部村が新設合併し行幸村となる。
筑前国福岡との関連
黒田重隆の曾孫である黒田長政筑前国に封じられた際、新しい本拠城の名称を黒田氏ゆかりの備前福岡より取って、「福岡城」と命名、城下町を「福岡」とした。これが今日の福岡県及び福岡市の名称の由来となった。(Wikipedia)
 
輜重兵ということで、輸送補給部隊・・・その労苦がしのばれます。
イメージ 6
輜重兵(しちょうへい)とは、兵站を主に担当する日本陸軍後方支援兵科の一種。
戦闘行動の上で兵站業務は極めて重要であり、輜重兵とはこの兵站業務を専門とする兵士である。水食料・武器弾薬・各種資材など様々な物資を第一線部隊に輸送して、同部隊の戦闘力を維持増進することが主任務であり、貨物自動車(トラック)などの大型車両を保有するが、武装は自衛に限定されるため比較的軽装備である。
但し、敵は後方連絡線を断とうとすることから、ゲリラの遊撃や航空阻止の対象となりやすく、いったん攻撃を受けると戦闘力に乏しい輜重兵は大きな損害を受ける場合もある。航空阻止は輜重兵、つまりは補給部隊やその主要交通路(トンネル鉄道港湾など)を主な攻撃目標とする。(Wikipedia)
輜重兵
砲工兵騎の兵強く
連戦連捷せしことは
百難冒(おか)して輸送する
兵糧(ひょうろう)輜重のたまものぞ
忘るな一日遅れなば
一日たゆとう兵力を

支那扇の女

イメージ 1
鮮血が飛び散る部屋の中で、血溜りに鼻を押しひしゃげて突っ伏す寝巻姿の女。そして隣の部屋には、額をざくろのように割られ、凄まじい形相をした老婆が死んでいた! 駆けつけた等々力警部と金田一耕助はただちに聞き込みを開始。だが、使用された凶器の意外な捨て場所、さらに70年前、世間を恐怖のどん底に陥れた毒殺事件とのからみが、事件をますます複雑にしていった。謎の因縁話に秘められた斬新なトリック、横溝正史の傑作長編推理。ほかに「女の決闘」を収録。

軽井沢殺人事件

イメージ 1
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
南青山で交通事故に遭い死亡した男は、「ホトケノオデコ」という謎のダイイング・メッセージを残す。一方、軽井沢大橋で警視庁の公安部員が不審な死を遂げた。警察庁刑事局長である兄陽一郎の“特命”を受け、名探偵・浅見光彦は軽井沢に飛ぶ!二つの事件は、政財界の闇の実力者に繋がる線となって…。浅見光彦と「信濃のコロンボ」竹村岩男警部が共演。

美濃路殺人事件

イメージ 1
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
愛知県犬山市の明治村で、大京物産課長・高桑雅文の死体が発見された。バッグの中には血染めの回数券が入っており、しかも被害者の血液型とは違っていた。事件発生時、美濃で和紙の取材をしていた浅見光彦は高桑の顔に記憶があった。数日前、「狂言強盗か」と報道された宝石商失踪事件の画面に彼の姿が映しだされていたのだ。ふたつの事件に一体どんな関係が?浅見は殺人現場に赴くのだが…。長編旅情ミステリー。


蝶々殺人事件

イメージ 1
蝶々殺人事件』(ちょうちょうさつじんじけん)は、横溝正史が著した長編探偵小説
終戦後の困窮の中、三津木俊助は探偵小説の執筆依頼を受けたが、構想を決められずにいた。弱りきった三津木は由利麟太郎宅を訪れ、かつて二人が関わった事件を元にした小説を書く許しを求めた。由利から資料や助言を得た三津木は、「蝶々殺人事件」と題した探偵小説を書き始める・・・
時は昭和12年(1937年)。歌劇団の主宰者である原さくらが、「蝶々夫人」の大阪公演直前に突然失踪した。その数日後、原さくらはコントラバスのケースの中で他殺体となって発見された。探偵・由利麟太郎は、三津木俊助と共に事件の調査のため大阪に赴くが、そこで新たな殺人事件が起こる。(Wikipedia)


 
プロフィール

yamatetsu

記事検索
アーカイブ
  • ライブドアブログ