

・・・高房は、直茂の孫娘を娶って諸大夫(従五位下駿河守に任官)として江戸幕府に従う身となり、徳川家康の人質になっていたが、慶長12年(1607年)、鍋島氏に実権を握られて憤慨して失望し、妻を殺害して自らも腹を斬り死のうとしたが果たせず、そのときの傷を養生するために肥前に帰ることを許されたが、故郷で再び自害し死去した。
高房の死後わずか1ヶ月後には、肥前に隠居していた父・政家も急死。幕府は佐賀藩龍造寺家の家督について国元から龍造寺一門を呼んで質したが、一門は勝茂こそ佐賀藩を継ぐに相応しいと答え、結局、勝茂が龍造寺家の家督を引き継ぐ形で佐賀藩35万7千石を手にすることとなった。この相続には、直茂が高房の祖父である龍造寺隆信と義理の兄弟関係にあり、龍造寺一門とも言えることも与ったかと思われる。その後、鍋島氏佐賀藩では、高房の弟の安良が龍造寺宗家として扱われたが、村田と改姓し子孫は幕末まで鍋島氏に仕えた。(Wikipedia)
龍造寺と鍋島、そして化け猫・・・
改めて認識!歴史ミステリーも良いですね~★
まさに『怨霊』になる条件を備えた龍造寺 高房!
佐賀藩主鍋島家は、相当おそれていたのでしょうな。
似たような話が実際にあったのかも知れません。