YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2014年07月

フィールドワーク陸軍登戸研究所

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【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 陸軍登戸研究所ー明治大学生田キャンパスに残る謀略機関の跡を歩く(消された秘密研究機関・陸軍登戸研究所/動物慰霊碑の謎 ほか)/第2章 偽札による経済・通貨戦争ー登戸研究所の中国法幣偽造(密かに行われた中国紙幣の偽造/戦争とは経済も謀略もふくめた総力戦 ほか)/第3章 市民・高校生が掘り起こした陸軍登戸研究所ー戦争の真実を明らかにし、未来へつなぐ(市民が掘り起こした登戸研究所/高校生たちが調べた登戸研究所の真実)/第4章 地域のみどりを守り、歴史遺産を生かすー川崎市民のとりくみ(川崎市多摩区のみどりと歴史遺産を生かすとりくみ/川崎市多摩区に残る戦争遺跡)

意外にも岡山県立図書館に蔵書がありました\(◎o◎)/!
ということで、さっそく取り寄せ!
映画もあるし、中国地方代表になったからね(*´▽`*) 
 
【参考動画】
 
 

岡山の山城を歩く:戦国山城を攻略する~特別講座事前予習~

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既読ですが、特別講座に向けて事前予習しました('◇')ゞ
 
それから、
 
9月には鳥取で山城サミットもあるしね\(^o^)/
 
鳥取藩主池田家 鳥取城跡寄贈70周年記念 
第21回全国山城サミット鳥取大会
を開催します!

あやつられた龍馬 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン

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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
アメリカ独立戦争(1775年)、フランス革命(1789年)、世界の二大革命の指導者層には、圧倒的多数のフリーメーソン・メンバーが座っていた。ワシントン、フランクリン、オルレアン公…。さらに同時代に活躍したゲーテ、ハイドン、モーツァルト、いずれもメンバーである。「世界最大の秘密結社」と呼ばれるフリーメーソンは、「自由」「平等」「博愛」の基本理念を掲げ、革命を推進した。そして彼らの手は、ようやく幕末の日本にたどり着いたー。
【目次】(「BOOK」データベースより)
序章 全能の目/第1章 暗殺現場の謎/第2章 日本に上陸した秘密結社(フリーメーソン)/第3章 長崎異人商会/第4章 グラバー邸に集った志士たち/第5章 薩英戦争の真相/第6章 密航者たち/第7章 革命前夜(グラバー・スキーム)/第8章 パリの密会/第9章 龍馬、孤立無援/終章 闇に消えたフリーメーソン
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
加治将一(カジマサカズ)
1948年、札幌市生まれ。小説家・不動産投資家。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


秘密結社・・・フリーメイソン・・・それだけでもう興奮しますな★
以前から読もうと想っていたのですが、ようやく読みました♪
 
詳細は控えますが、
著者による龍馬暗殺の真相推理、意外な結末が~\(◎o◎)/!
 
それと、アメリカの1ドル紙幣の件★
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この記述を見て、さっそく確認!
 
探してみたらありました1ドル紙幣
初代大統領のワシントンはフリーメイソンのメンバーです!
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その裏面にはフリーメイソンの「全能の目」
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フリーメイソン: Freemasonry)は、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社
現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人に上り、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに[6]、200万人は米国のグランドロッジに所属している[7]
「フリーメイソン」とは厳密には各個人会員の事を指しており、団体名としては: Freemasonry(フリーメイソンリー)、: Franc-maçonnerie(フランマソヌリ)、: Massoneria(マッソネリア)、: Freimaurerei(フライマウレライ)、: Масонство(マソンストヴォ)である。以下、英語的な発音である「フリーメイソンリー」と記載する。なお本項目は「フリーメイソン」と表記しているが、日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している[8]
この友愛結社(組合)は、管轄上、独立したグランドロッジもしくは一部が東方社(オリエント、大東社系)の形で組織され、それぞれが下部組織(下位のロッジ)から成る自身の管区を管轄している。これらの多様なグランドロッジは、それぞれが認め合い、あるいは拒否したりして、境界を形成する[9]。また、フリーメイソンリーの主要な支部には、関連した付属団体が存在するが、それらはそれぞれが独立した組織である。フリーメイソンリーは秘密結社[10]または「semi-secret」(半分秘密の)[11][12]団体と表現する場合があるが、いかなる団体であれ団体内部の秘密というものがあり、そうした視点においてフリーメイソンリーは広く知られた公開結社なのであるというフリーメイソンリー側の意見もある[13]
フリーメイソンリーは「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念がある[14]。(Wikipedia)

シークレットツアーの資料を送っていただきましたm(__)m

岡山市在住の戦史研究家miyake先生から
来る8月2日、O市で極秘裏に開催される
シークレットツアーの資料を送っていただきました♪
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もしも無事に帰還できましたら後日レポートしますね(*´▽`*)


miyake先生へ
このたびはお忙しい中、
充実した資料の数々を送っていただき、本当にありがとうございますm(__)m
もし当日時間がありましたら、工兵関連の追加オプションとしまして、
岡大構内における
①工兵第10連隊将校集会所庭園の灯篭
②工兵第10連隊橋梁演習場のレンガ橋脚
をお願いします。

本能寺の変はなぜ!?『石谷家文書』初公開!!~特別展「武士のダンディズム」~

先日26日、新発見文書が公開されたので行ってきましたよ\(^o^)/
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本能寺の変の真相は!?とはいうものの、
やはり、ひとつの要因ではなく複数の事柄が重なっていると想います。
四国説も、その中のひとつであることは有力でしょう★
推理するだけでも面白いですね(*´▽`*)
 
その件はさることながら、
展示品の中に、初めて観る注目アイテムが\(◎o◎)/!
撮影禁止のため写真はありませんが、
これは個人蔵の出品なので、なかなか出会うことがないかも?
戦国の攻城兵器です★
『百匁火矢筒と棒火矢』イメージ 4
 
 
以下、幻の文書発見記念に

本邦初公開!!
本能寺の変を予見させる「幻の書状」。
明智光秀を取り巻く武将たちの思いとは!?

日本史最大の謎「本能寺の変」。
明智光秀を謀反に走らせた、その理由がひも解かれる・・・。

「本能寺の変」といえば、織田信長が明智光秀に討たれた日本史上で最も有名な謀反ですが、光秀の動機は、これまで、謎とされてきました。その謎に迫る新たな史料が林原美術館所蔵の古文書の中から発見されました。光秀の謀反の動機が、なんと四国にあったとする説が有力になりそうです!
石谷家文書外観(箱、3巻の外観)
新たに発見された文書(もんじょ)は、足利将軍家の側近だった石谷家(いしがいけ)にまつわるものです。手紙は、本能寺の変(1582年6月2日)が起こる直前の5月21日に四国の武将・長宗我部元親から明智光秀の重臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)に宛てた書状で、日付や、利三の名前、元親のサインである花押が読み取れ、本能寺の変の直前の状況を知る重要な史料であることわかりました。
林原美術館には、国宝3点を含む様々な文化財が収められており、今回の史料は、戦後の昭和20年~昭和36年ごろまでに収集したと考えられる林原一郎コレクションの中から見つかりました。
長宗我部元親書状(斎藤利三宛)天正10年(1582)5月21日

本能寺の変、その謎を解く鍵は四国にあり!?

明智光秀が本能寺の変を起こした動機については
恨みや野望を持ったという説、黒幕がいたという説など様々な説がありますが、定説はありませんでした。
その一つに、四国統一を目指した長宗我部元親との関連を重視する「四国説」があります。長宗我部元親は、嫡男の名前を信長から拝領するなど、友好関係を築いていました。しかし天正9年(1581年)の後半頃、信長が長宗我部氏に対する方針を転換します。信長は「四国は切りとり次第」という許可を撤回し、土佐一国と阿波半国の領有のみを認めると通達したのです。元親はこれに反発しました。そして、翌年の6月3日に信長は四国征伐の派兵を計画します。本能寺の変は、まさにこの前日に起きました。
石谷家は、長宗我部元親に娘を嫁がせています。実は、明智光秀の重臣で本能寺の変を企てたとも言われる斎藤利三の実兄が石谷頼辰で、石谷家、斎藤家、長宗我部家は血縁関係にありました。石谷家文書には光秀の名前も見られます。今回、発見された史料からは、四国征伐前の緊迫した様子と、信長と元親の間で板挟みになる明智光秀、斎藤利三の様子をうかがうことができます。
これまでも、元親、明智光秀、斎藤利三の関係は知られていましたが、両陣営がこのようなやりとりをしていたことを示す一次史料はありませんでした。
今回の史料の発見によって、本能寺の変の一因が、信長の四国征伐にあったとする「四国説」が、今までよりも有力になってくる可能性があります。

明智光秀が後世に残した歴史ミステリー。
是非、あなたの目でご覧ください。

《展示替のお知らせ》

  • 長宗我部元親書状(斎藤利三宛) 天正10年(1582)5月21日付の原本は、
    7月19日(土)~8月24日(日)まで展示します。
    その後はパネルでの展示になります。
  • 斎藤利三書状(空然宛)天正10年(1582)1月11日付の原本は、
    8月26日(火)~9月15日(月・祝)まで展示します。
    それ以前はパネルでの展示になります。
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