YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2014年08月

東京駅~100周年の中央停車場~【夏の関東散歩7】

将門の首塚から東京駅へ戻り、
復元工事を終えて、100周年を迎えた東京駅丸の内駅舎の鑑賞です♪
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東京駅丸の内駅舎(2012年復元)
1889年明治22年)に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。 日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面の原野に設定され、「東京駅」と名付けられた。 (Wikipedia)
 
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以前、NHKでやっていた
100年前の東京へタイムスリップする番組を観て影響されたのです。
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大正3年ですね!
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大正の朝食も美味しそうに見える(^O^)
 
関東大震災でも倒壊しなかった駅舎は、東京大空襲で損傷しました。
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「マッカーサーの見た焼跡―フェーレイス・カラー写真集 東京・横浜1945年」
 
そして現在・・・
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駅舎の右に見える白い建物「JPタワー・KITTE」(旧東京中央郵便局)
に向かいます。
 
その前に駅舎のドームを眺めて・・・
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気分は100年前★
 
そして「JPタワー・KITTE」内の
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郵便局長室へ
 
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ココは駅舎鑑賞スポットになっているのです。
 
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重厚! ビル群との調和が素晴らしいですな~(*´▽`*)

将門の首塚~怨霊信仰と平将門~【夏の関東散歩6】

翌日、東京都内散歩へ♪
やっぱり、たまに行く都会は良いですね~★
この日は、信奉する『ブラタモリ』の気分で巡ります(*´▽`*)

新宿から中央線で東京駅へ
 
以前から、すごく気になっている
怨霊信仰
とくに日本史上怨霊TOP3にランクインされるであろう
平将門
目的地は、その将門の「首塚」であります。
小説等を読んで想いを高めていましたが↓
今回、ついに行くことができました!
 
(参考動画)
 
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丸の内中央口から皇居方面へ
 
丸の内のビル群を抜けて
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江戸城・和田倉門橋とか
 
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江戸城・大手門を眺めつつ
 
そういえば以前、江戸城内(皇居)に潜入したのでコレ見てね(^O^)↓
 
大手町の目的地へ到着!
三井物産ビルの下
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平将門の首塚
平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)とは、平将門を祀っている将門塚(しょうもんづか)とも呼ぶ。東京都指定の旧跡である。
伝承では、将門の首級平安京まで送られ東の市都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。
その中でも最も著名なのが、東京都千代田区大手町一丁目2番1号外http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/55/WMA_button2b.png/17px-WMA_button2b.png地図にある首塚である。かつては盛土と、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったので、古墳であったと考えられている。(Wikipedia)
 
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参拝者がたえることなく次々と・・・。
普段からそうなのか?この日がお盆(8月15日)だからなのか?
分かりませんが、現在も人々の関心を集めていることは確かなようです。
 
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首塚
 
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首塚の境内には所狭しと多数の蛙の置物が奉納されている。将門の首が京から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけ、伝承で次の二つの利益があるとされている[2]。●左遷になった会社員が、元の会社に無事に戻ってこられるように、蛙を供える。●誘拐されたり、行方不明になった子供が無事帰ってこられるように、蛙を供える。(Wikipedia)
 
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なるほど・・・
伊達騒動の結末は怨霊が影響しているような気がしてきたような。

川越名物:特上うな重~小川菊~【夏の関東散歩5】

河越夜戦に想いを馳せた後、
川越名物「鰻と芋」の探究コースへ★
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風情ある街並みを散策しつつ
 
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重厚な建造物に感嘆したりして
 
やっぱり川越でもうな重を食べないと帰れませぬ。
ということで、
独自調査により判明した川越で有名な店に行ってきましたよ♪
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小川菊(おがぎく)
埼玉県川越市仲町3-22
店頭には行列が\(◎o◎)/!
 
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文化4(1807)年創業
 
 
注文したのは・・・
 
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うな重【特上】
4500円
 
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わーい\(^o^)/
 
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わーい(*´▽`*)
 

うな重を食べて満足★
もうひとつの川越名物「さつま芋」
 
寛政年間に焼イモが江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ「栗よりうまい十三里」というフレーズと味の良さで持て囃され、「イモの町」のイメージも定着した。こうした領内や秩父など近郊からの物資の供給地として「江戸の台所」と呼ばれ繁栄した。(wikioedia)
 
炎天下で焼イモは無理なので冷たいものを。
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天明3年創業 川越藩御用達の亀屋
でコレを(=^・^=)
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なるほど なるほど(^o^)
 
もう川越に思い残すことはありません!
満足して西武急行で宿泊地・新宿へ帰ったのでありました。

河越夜戦と川越城【夏の関東散歩4】

1560年 桶狭間の戦い
 
 
1555年 厳島の戦い
 
 
1546年 河越城の戦い(河越夜戦)
 
日本三大奇襲のひとつ「河越夜戦跡」へやってきました♪
年代からいうと元祖奇襲ですね★ 
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河越(川越)夜戦跡 【東明寺】
河越城の戦い(かわごえじょうのたたかい)は、戦国時代に、武蔵国の枢要な城であった河越城の争奪を巡って、河越城周辺で争われた一連の戦いをいう。
北条早雲の嫡男、後北条氏の2代目当主北条氏綱は武蔵国征服のため、武蔵国を支配していた上杉氏の居城・河越城に侵攻、1524年大永4年)から4度にわたる争奪戦が展開された。
「河越城の戦い」で特に有名なのが、関東の政局を決定した大きな戦いとなった5度目の天文15年(1546年)の戦いで、日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つ「河越夜戦」(かわごえよいくさ)である。(Wikipedia)
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上の図表は年代が違っております(1546年)
 
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北条氏綱
河越城奪取(1537)
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北条氏康
河越夜戦で奇襲成功(1546)\(^o^)/
 
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時代は変わって近世の川越城へ
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川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にある城跡。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城霧隠城関東七名城日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城近世以降は川越城と表記されることが多い。
 
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川越城本丸御殿
内部撮影不可ですが、貴重な本丸御殿を鑑賞できました\(^o^)/
本丸御殿は、1848年(嘉永元年)、松平斉典の17万石時代に建てられた入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せをもつ。36畳の大広間は、板間で玄関と区切られ、さおべり天井で奥行3間の座敷には9尺の廊下が四方を囲っている。建坪は165坪である。
当時は16棟、1025坪の規模をもっていた。明治に入ると廃城令で多くの建物は解体され、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっているが、本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にしか現存せず、全国的に見ても貴重な遺構である。(Wikipedia)

喜多院と五百羅漢【夏の関東散歩3】

 仙波東照宮に隣接する喜多院へ♪
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喜多院
喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗寺院。山号は星野山(せいやさん)。
良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。(Wikipedia)
 
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江戸城から移設された客殿・書院・庫裏
撮影不可ですが「徳川家光誕生の間」と「春日局化粧の間」がありますよ。
家光は川越生まれ!?・・・誤解されている方が少々おられました(;^ω^)
寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川舟運が開かれた。(Wikipedia)
 
そして、注目の羅漢群・・・
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五百羅漢
「日本三大羅漢」の1つ・五百羅漢天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座する。石仏はすべてが異なる表情・ポーズであるが、深夜、羅漢の頭を撫でると1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、という伝承が残る。(Wikipedia)
 
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脱力感が大事・・・ということかな~?
 
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これは、なんだか意味深な感じ・・・??
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