九州門司から本州下関にやってきたのは・・・主目的は砲弾です。
以前行った愛知県護国神社↓につづいて、大和型主砲弾の鑑賞と慰霊

ロープウェイを降りて、山頂公園に到着・・・砲弾碑を視認しました!
現在・・・確認したところによると
戦艦大和型の主砲弾は
国内7ヶ所に残存しているようです。
●東京・靖国神社(鑑賞済)
●江田島・旧海軍兵学校(鑑賞済)
●呉・大和ミュージアム(鑑賞済)
●伊予西条・楢本神社(鑑賞済)
●名古屋・愛知縣護國神社(鑑賞済)
●長州下関・火の山公園
●呉・歴史の見える丘:戦艦大和之塔
【その他、追加訂正等あれば御教示願いますm(__)m】

戦艦大和主砲弾【九一式徹甲弾】

瀬戸内海から引き揚げられ・・・火薬処理??

九一式徹甲弾は、下記に述べる水中弾効果を重視した六号徹甲弾を改良したものである。
六号徹甲弾の風帽を延長し、弾尾の形状をすぼめることで、ボートテール型にした徹甲弾が大和型戦艦にも搭載された九一式徹甲弾である。1931年(昭和6年・皇紀2591年)に採用されたため、この呼び名がある。九一式徹甲弾は、六号徹甲弾よりも空気抵抗が少ない形状であったために、同じ仰角時での射程が3,000~4,000m延伸した。
とはいえ、九一式徹甲弾は、実戦での水中弾発生確率は通常弾と大差なく、また大遅動信管の装着により、非装甲部分への命中弾が炸裂しないまま相手艦体外へ貫通するという問題を抱えていた。このことにより、砲弾命中時に爆煙が視認できないため、砲戦指揮上問題があるとの指摘もある。
さらに、弾体強度が不足しているため、命中時に砲弾が破砕されてしまうという欠陥があった。具体的には砲弾径の9割以上の厚みがある表面硬化装甲に対し、撃角25度以上で命中した場合に見られる欠点であった。こうしたことから、大和型戦艦ではこの原因である被帽の取り付け方法を是正している。
九一式徹甲弾の更新用として、1941年(昭和16年)に採用された一式徹甲弾では、上記の被帽取り付け方法の改善に加え、弾頭部への着色剤充填を行ったとされている。このほかに、一式徹甲弾では弾体強度を合わせて強化したという説もあるが、定かではない。(Wikioedia)





主砲弾の造形美・・・そして、その質感を感じつつ・・・「歴史」に触れたのでした。