2016年06月
本日、梅雨の中・・・近所の古刹「宝福寺」において幕末の重要事件「倉敷浅尾騒動」150周年の法要と講演会がありました。
「御陣屋大変―倉敷代官所襲撃・大橋敬之助(立石孫一郎)没後150年―」展~倉敷市真備支所~ に続く記念イベントです。

宝福寺は創建の年代は不明であるが天台宗の僧・日輪によって開かれたとされ、元来は天台宗の寺院であった。鎌倉時代の貞永元年(1232年)に備中国真壁(現在の総社市真壁)出身の禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。
当時の天皇であった四条天皇は病気となっていた。鈍庵が天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、壇前に客星が落ち、天皇の病気は平癒したという。星が落ちた場所に井戸を掘り「千尺井」と名付けた。これが山号「井山」の由来となった。その後、寺院は天皇の勅願寺となり発展した。一時は塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹となり隆盛を誇った。
戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575年)には三重塔を残し伽藍のことごとくを戦火により失った。その後、江戸時代に至るまでの間は荒廃していたが、江戸時代初期に復興され、再び山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵の禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺となった。本堂にあたる仏殿は享保20年(1735年)に再建されている。(Wikipedia)


会場は登録有形文化財の宝福寺方丈


参加者約100名・・・まさに、この方丈に150年前、幕末の慶応2年(1866)に長州第二奇兵隊脱走隊士約100名が2泊しました。
立石孫一郎ら脱走隊士は退去に当たり宝福寺に危害は加えず、賄い料まで支払ったといいます。



現在に残る『事件現場』での法要と講演は充実の内容でありました。
1日経ち、少しばかり気持ちが落ち着きました・・・・・・。
昨日夜は、選抜総選挙投票開始~ゆきりんの1位を目指す~ の結果発表がありました(ノД`)・゜・。
残念な結果でしたが、スピーチが評判だったので良かったです。今後につながる内容でした\(^o^)/


昨日は「島田荘司と『ばらのまち福山ミステリー文学新人賞』受賞者たち」&トークイベント の流れで島田荘司原作の映画鑑賞へ。「ふくやま文学館」の企画展で展示されていた映画仕様古文書を想い出しつつ、戦国から幕末の歴史ロマン・・・そして現在の福山の風景とともに満喫したのでした★

天才的な頭脳で、数々の難事件を解決に導いてきた脳科学者・御手洗潔(玉木宏)。ある日、御手洗は半年の間に6体もの死体が海岸で発見されたという“死体島”の存在を知る。事件の現場である瀬戸内海の興居島に着いた御手洗は、死体が海流によってある場所からこの島に流れてきたと推理。その場所を広島県福山市だと突き止め、福山へ移動した御手洗たちだったが、外国人女性の変死体が発見されるなど奇妙な事件に遭遇し……。



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