YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2016年11月

パソコン故障 修理 入院

一部のキーボードが反応しないため・・・・・・  29日午後、旅立ちます
無事に帰ってきてください

竹野海岸と猫崎半島~北前船と温泉♨~【但馬豊岡探訪録7】

そして、鷹野神社のすぐ北・・・日本海の山陰海岸:竹野浜を訪ねました
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竹野浜(たけのはま)は兵庫県豊岡市竹野町竹野にある白砂青松砂浜である。日本海に面する竹野海岸猫崎半島の東に位置する。竹野浜を含む竹野海岸は山陰海岸国立公園および山陰海岸ジオパークに属する。日本海に面する東西約800mの遠浅砂浜である。(Wikipedia)

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猫崎半島は、竹野川河口東岸に伸びる陸繋島である。岬端部がかつて「賀島」(かしま)と呼ばれる安山岩でできた島だったことから、「賀島半島」ともいう。延長1.2 km, 幅は約250 m. 遠望するとがうずくまった、あるいは耳を立てたように見えることから、その名が付いた。一方、東から眺めるとキューピーに似ている、との意見もある[誰によって?]半島の基部東岸には、700 mにわたって日本の渚百選指定の「竹野浜」が広がり、ここから望む猫崎は夕日の名景である。半島の西岸は岩礁で、波食甌穴が多数見られ、これらは1972年3月29日に県の天然記念物に指定されている。(Wikipedia)

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猫崎半島の一部を鑑賞

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この地層・・・最高ですね!

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海苔(のり)の受け渡し場だとか。

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江戸時代から明治時代にかけて北前船の寄港地として栄えた竹野浜一帯は「竹野の大浜」と呼ばれ、全国の廻船業者が軒を連ねた。
浜辺にある北前館には、北前船の復元船「天神丸」をはじめ和磁石望遠鏡、船絵馬などが展示されている。また、近くの鷹野神社には船頭が奉納した船絵馬や方位を見るための方角石が残っている。(Wikipedia)

猫崎半島の付け根にある展示施設「北前館」へ
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最後に「北前館」併設の温泉に入って帰ったのでした


ということで、以上 往復全行程450KM
【但馬豊岡探訪録】 終了です。ありがとうございましたm(__)m

鷹野神社~竹野町の方角石~【但馬豊岡探訪録6】

翌日、豊岡市街地から城崎を抜けて北へ・・・但馬海岸竹野町の鷹野神社へ。
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式内:鷹野神社

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方角石

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北前船、日本海航海の痕跡ですね★

此隅山城~国史跡:山名氏城跡~【但馬豊岡探訪録5】

かつては一族で全国66箇国中11箇国の守護職を占め「六分の一殿」と称されて権勢を誇った山名氏の本城、此隅山を攻略!!  
そして、応仁の乱では西軍の総帥となった山名宗全の本拠地でもあります。
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山名 宗全 / 山名 持豊(やまな そうぜん/やまな もちとよ)は、室町時代武将守護大名。家系は新田氏庶流山名氏室町幕府四職の家柄で侍所頭人。但馬備後安芸伊賀播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清の娘。持豊で、宗全は出家後の法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。
宗全は出石此隅山城に各国から集結した西軍を率いて挙兵し、京都へ進軍する。当初室町亭の将軍らを確保した勝元率いる東軍に対して劣勢であったが、8月には周防から上洛した大内政弘と合流し、一進一退の状況になる・・・。(Wikipedia)

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此隅山城(このすみやまじょう)は、兵庫県豊岡市出石にある日本の城山城)跡。別名は子盗城、此隅城。有子山城跡と合わせて「山名氏城跡」として国の史跡に指定されている。
応安5年(1372年)頃、出石神社の北にある標高140mの此隅山に山名時義が築城。以後山名氏の持城となる。
応仁元年(1467年)、応仁の乱が始まると、此隅山城には山名の各領国から計2万6,000騎の軍勢が集まり、山名持豊(宗全)は当城から京都へ出陣した。
但馬の守護所は平野部の九日市にあったが、守護代の垣屋氏におされた守護の山名氏は直割領で守りの堅い此隅山の城に拠点を移し、山麓に館を設け守護所を移した。
山名祐豊は、垣屋氏・太田垣氏・八木氏らを制し此隅山城を戦国大名山名氏の居城として確立させたが、永禄12年(1569年)、織田信長の家臣羽柴秀吉に攻められ落城。祐豊は、より急峻な有子山城に居城を移し、城は廃城となった。(Wikipedia)

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北から南へ尾根沿いを進みます。

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熊には遭遇せず・・・

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主郭からの眺め

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宗全も見た景色ですね・・・・その後、山名氏は没落します。

但馬国一宮:出石神社~新羅王子アメノヒボコ伝説~【但馬豊岡探訪録4】

雅成親王墓から移動して、豊岡市内の旧出石町内にある但馬国の一宮「出石神社」へ。
ここには古代朝鮮半島:新羅国の王子アメノヒボコが祀られています。
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出石神社
出石神社(いずしじんじゃ)は、兵庫県豊岡市出石町宮内にある神社式内社名神大社)、但馬国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社
兵庫県北部、出石盆地東縁の山裾に鎮座する神社である。出石盆地南縁の現在の出石市街地からは北方約2キロメートルに位置するが、かつては出石神社付近が周辺一帯の中心地であり、現在の出石市街地は天正2年(1574年)に山名氏が居城を此隅山城から有子山城(のち山麓に出石城)に移してからの発展になる[1]
この出石神社は、『古事記』や『日本書紀』に記される渡来新羅王子の天日槍伝説の中心となる神社で、現在の祭神には天日槍が将来したという八種神宝の神霊および天日槍自身の神霊を奉斎し、地元では出石の開拓神としても信仰される。古くから但馬国(兵庫県北部)では随一の神威を誇ったほか、中世近世には但馬国の一宮にも位置づけられた、但馬地方では代表的な古社になる。
社殿は大正3年(1914年)の再建で、豊岡市指定文化財に指定されている。また社宝として、明治14年(1881年)寄進の脇差(国の重要文化財)のほか、歴代領主の甲冑や古文書などを伝世し、現在はこれらの多くが文化財に指定されている。
◆出石神社の祭祀は、『古事記』や『日本書紀』などの記す天日槍あめのひぼこ、天之日矛/天日桙)伝説との深い関わりで知られる。そのうち『古事記』応神天皇記では、天之日矛は新羅王子であり、その昔(応神天皇以前)に日本に渡来したとする[注 1]。そしてその渡来の経緯として、天之日矛は妻を追って日本に渡来し難波に着こうとしたが着けなかったため、新羅に帰ろうと但馬国に停泊していたが、そのまま但馬国に留まり多遅摩之俣尾(たじまのまたお)の娘の前津見(さきつみ)を娶って子孫を儲けたという。また天之日矛は「玉津宝(たまつたから)」と称される神宝8種を将来し、それらは「伊豆志之八前大神(いづしのやまえのおおかみ)」と称されるとする。続けて、その伊豆志大神の娘の伊豆志袁登売神(いづしおとめのかみ、出石乙女)の神婚譚が記される[6]
対して『日本書紀』垂仁天皇3年条[原 2]では、天日槍を同じく新羅王子とした上で、垂仁天皇(第11代)の時に渡来したとし、天日槍は将来した7物を但馬国に納めて永く神宝としたとする[7][4]。また同条の別伝では、日本に渡来した天日槍は初め神宝8種を天皇に献上したとし、さらに天皇から居住地として提示された播磨国宍粟邑と淡路島出浅邑は固辞したうえで、近江国若狭国を経て但馬国に至り、そこで但馬国出島(出石に同じ)の太耳の娘の麻多烏(またお)を娶り、子孫を儲けたとする[7][4]。そのほか『日本書紀』垂仁天皇88年条[原 3]では、天日槍の将来した神宝を見たいと天皇が欲したので、曾孫の清彦に5物を献上させたとする。この時に5物とは別に「出石」という名の小刀1口があり、清彦は献上を望まず隠していた。清彦は結局これを献上したが、のちに自然と消え、淡路島で発見され祠に祀られたという。続けて系譜として、天日槍は但馬国の前津耳(さきつみみ)の娘の麻拖能烏(またのお)を娶り、子孫を儲けたと記される[8][4]。以上の一方、『日本書紀』では『古事記』にあるような出石神に関する具体的な記述はない。
天日槍伝説および関連伝承は、『古事記』・『日本書紀』のほかにも『播磨国風土記[原 4]や『筑前国風土記』逸文[原 5]・『摂津国風土記』逸文[原 6]・『古語拾遺[原 7]などでも見られる。そのうち『播磨国風土記』では、天日槍を客神(渡来神)に位置づけ、葦原志許乎命や伊和大神(播磨国一宮の伊和神社兵庫県宍粟市)祭神)との間で播磨国の国占めを競う姿が記されている[9]。また『古語拾遺』でも、新羅皇子の「海檜槍」の渡来について「今在但馬国出石郡為大社」と見え、ここでも天日槍と出石との深い関わりが記される。(Wikipedia)

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参道狛犬(明治39年建立)

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拝殿狛犬(年代不明)

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朝鮮、新羅、アメノヒボコ・・・伝説の地を歩きながら古代朝鮮と但馬のつながりを想像したり。

そして参拝後は、
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出石神社の北にそびえる中世山城「此隅山」を攻略します!!  次回へつづく

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