防衛省の見学終了後、隣接する場所にある「市谷亀岡八幡宮」へ向かいます。
参考文献から入手した情報では、ここに「陸軍用地の境界石柱」があるとのことなので、是非とも探索しておかなければなりません。
陸軍用地境界石in渋谷駅前~繁華街の陸軍痕跡~【東京街歩記6】 以来の陸軍境界石となりました


江戸切絵図にある「尾張殿(尾張藩上屋敷)」は、戦前には陸軍士官学校から陸軍省へ。そして、現在の防衛省となります。隣接する八幡町の同じ場所には市谷(亀岡)八幡宮。

当神社は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転[1]。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。その後明治に入り、神仏分離令により別当寺であった東円寺[2]が廃寺となり(1872年)、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。その後、1945年に第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。1962年に現在の社殿が再建される。現在でも地域の人々などから信仰を得ている。(Wikipedia)

市ヶ谷の台地に上ります。

文化元年建立の銅鳥居。



参道を進み・・・

裏参道の陸軍用地境界石を探索します。
しばらく探して・・・3点の境界石柱を確認できました




街の中に残る歴史の痕跡・・・ほとんど注目されることのない陸軍境界石には魅力を感じます。
裏参道沿いにある寺の石垣には、



地名を示す文字が刻まれています。
参考文献:大軍都・東京を歩く の著者・黒田涼氏制作の参考動画