もりおか歴史文化館 で盛岡の歴史を俯瞰したあと、隣接する南部氏20万石の居城、盛岡城跡へ★




南部鶴
南部氏の家紋は、「対い鶴に九曜」として知られる。本来は、南部光行の画像にも見られるように武田氏族らしく「割菱紋」であった。室町時代の応永十八年(1411)、南部守行は根城南部光経とともに秋田の安東鹿季と戦ったが、その陣中に二羽の鶴が飛来し、それを瑞祥として兵を進めたところ勝利をおさめることができた。戦後、これを記念して家紋を「二羽鶴」に改めたのだという。 http://www2.harimaya.com/sengoku/bukemon/bk_nanbu.html

櫻山神社

築城時に出現した巨岩

瓦御門

二ノ丸から本丸へ(渡雲橋)

本丸に残る「南部中尉銅像台座」・・・銅像は戦時金属供出

1904年(明治37年)、日露戦争が勃発し利祥は満州の最前線で活動した。翌1905年(明治38年)2月に中尉に進級し、近衛騎兵第一中隊第三小隊の小隊長を命じられ、最前線で指揮を執ったが、3月4日井口嶺の戦いで銃弾を浴び戦死。享年23。
利祥の栄誉を後世に残すため旧盛岡藩士らによって、1908年(明治41年)、岩手公園に利祥の銅像が建立された。しかし、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に金属供出によって撤去されたため、現在は台座が残るのみである。(Wikipedia)

本丸南側

本丸御二階櫓下

本丸御三階櫓下

本丸東側の野面積(城内最古の石垣)

本丸御未御門の石垣

本丸と二ノ丸を結ぶ(渡雲橋)

はばき石垣

笑い積

城内で最も高い石垣・・・約14m
以上、夕暮れのため盛岡城内鑑賞を終了したのでした。