YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2018年03月

15時17分、パリ行き

チャーチルの映画を観に行く予定にしていたら、なんと地元では上映しないとのこと・・・(ノД`)・゜・。
しかし、代わりに観た、この「15時17分、パリ行き」は良かった。運命を感じますな。
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15時17分、パリ行き』(The 15:17 to Parisは、2018年製作のアメリカ合衆国映画である。2015年8月21日高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件と事件に立ち向かった3人の若者を描く。監督は、クリント・イーストウッドが務め、主演の3人は、実際にタリス銃乱射事件に巻き込まれた3人を本人役として起用している。キャッチコピーは『その時、3人の若者が乗ったのは運命の列車だった。
詳細は「タリス銃乱射事件」を参照(Wikipedia)

関東点描~旅の風景~【関東探索記2018-7】

短期探索旅の終わりが近づき・・・
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銀座4丁目の1号店で
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400g

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新橋の機関車前で

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千葉の落花生は美味しかったりして


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羽田に戻り・・・

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帰路はB767-300のスターウォーズ仕様

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岡山へ


ということで、
【関東探索記2018】終了。ありがとうございましたm(__)m

上総 東金城跡~謎のトーチカ・・・観測所か?~【関東探索記2018-6】

東金御殿跡(東金高校)の北側にある山・・・中世山城・東金城跡へ向かいます★
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城をひとつ の巻頭地図より

このたび、戦国北条記北条氏康~関東に王道楽土を築いた男~ 等で戦国期の関東情勢を把握して、この城跡を訪ねることが出来ました。

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東金城の碑から

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登山道へ。

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防空壕から山中の道

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御殿山神社奥院跡は、おそらく城の郭跡

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御殿山神社奥院跡からの眺望(東金市街地方面)

ここから、険しい山中を・・・さらに主郭部へ向かいます。

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おそらく主郭部

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さらに別の郭へ

そして・・・
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出現したコンクリート構造物

https://ameblo.jp/castle-manabu/entry-11629132599.html 等では「トーチカ」・・・

http://kanreport.blog58.fc2.com/blog-entry-442.html では「観測所」と推測されています。

どうも観測所のようでもありますが。

いずれにしても、
米軍のコロネット作戦における九十九里浜上陸作戦に対応するための施設で、貴重な遺構です。

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良好な残存状態・・・数年前にできたような。

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反対側にある入口

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ここから内部へ。

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開口部の樹木の先は南方・・・九十九里浜方面が遠望できます。

ここで、生い茂る藪のため探索を断念・・・。
下山中に転倒して負傷したものの、大事には至りませんでした。



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ダウンフォール作戦(ダウンフォールさくせん、英語: Operation Downfall)は、太平洋戦争時にアメリカ軍イギリス軍をはじめとする連合国軍が計画した「日本本土上陸作戦」の作戦名である。日本が作戦実施前に降伏したために、この計画は中止された。
1945年11月実施を前提に計画された「オリンピック作戦」と、1946年春に実施を前提に計画された「コロネット作戦」に分かれており、オリンピック作戦では九州を占領し、コロネット作戦では関東平野の占領を目的としていた。仮にこの作戦が実行されていたなら、史上最大の水陸両用作戦となった。
日本側によって予想された戦闘の全体概要については「本土決戦」(日本側の呼称)を、日本軍の防衛作戦については決号作戦を参照。

「コロネット作戦」
オリンピック作戦で得られた九州南部の航空基地を利用し、関東地方へ上陸する作戦である。上陸予定日はYデーと呼ばれ、1946年3月1日が予定されていた。コロネット作戦は洋上予備も含めると25個師団が参加する作戦であり、それまでで最大の上陸作戦となる予定であった。上陸地点は湘南海岸相模川沿いを中心に北進し、現相模原市町田市域辺りより進路を東京都区部へ進行する計画予定)と九十九里浜から鹿島灘沿岸にかけての砂浜海岸が設定され、首都を挟撃することが予定されていた。湘南海岸には第8軍、九十九里浜には第1軍が割り当てられていた。
Yデーの3ヶ月前からイギリス軍とアメリカ軍による艦砲射撃と空襲によって大規模な破壊を行ない、攻撃の中にはミサイルや、対独戦に投入されて間もない「グロスター ミーティア」や、この頃には実戦配備が進んでいると予想された「ロッキードP-80シューティングスター」などのジェット戦闘機、化学兵器の使用も含まれていた。1946年3月に関東平野の南東と南西から上陸する連合軍は、古典的な挟撃作戦によって約10日で東京を包囲する。計画では湘南海岸に30万人、九十九里海岸に24万人、予備兵力合わせて107万人の兵士と1,900機の航空機という、ノルマンディー上陸作戦をはるかに凌ぐ規模の兵力が投入される予定であった。(Wikipedia)

上総国へ~千葉県東金市~【関東探索記2018-5】

翌日、千葉駅へ★
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東金線経由の成東行に乗り込みます。

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目的地は「上総国」
今まで、なかなか行く機会が無かった上総国ですが・・・今回は場所と日程を調整して、なんとか訪れることが出来ました。ということで、関八州の八カ国探訪達成

江戸時代には、関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国を指した。 (Wikipedia)
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上総国(かずさのくに、正仮名遣:かづさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。
常陸国上野国とともに親王国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介であった。
古語拾遺』によると、よきの生きたる土地というところより称したとされる捄国(ふさのくに)から分立したという。分立の時期については、『帝王編年記』では上総国の成立を安閑天皇元年(534年)としており、毛野国から分かれた上野国と同じく「上」を冠する形式をとることから6世紀中葉とみる説もある。
6世紀から7世紀にかけ多くの国造が置かれ、後の安房国も併せ8つの国造の領域が存在しているが、ヤマト王権からはこれらの国造の領域を合わせ捄国(もしくは上捄国)として把握されていたものと考えられ、ヤマト王権と緊密なつながりを有していたともされている。藤原京出土木簡に「己亥年(699年)十月上捄国阿波評松里□」とあり、7世紀末には「上捄」の表記であったと推測されるが、大宝4年(704年)の諸国印鋳造時には「上総」に改められた。読みは、古くは「かみつふさ」であったが、「かづさ」に訛化した。「かみつふさ」の転であり、正仮名遣(歴史的仮名遣い)では「かづさ」と表記されるが、現代仮名遣いでは「かずさ」とするため、「つ」に由来することが見えない状況となっている。(Wikipadia)


下車するのは上総国の「東金市」・・・九十九里平野の都市です。
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東金市(とうがねし)は、九十九里平野にある、千葉県である。
東金の由来は鴇が根に由来するといわれる。当地にある西福寺境内の山嶺が鴇(とき)の頭に似ていることから鴇ヶ峯と称されトウガネに転訛し東金と言うようになったと伝えられる。
城の名称も『東金町誌』によると「東金城は往古上総介の属館なりしが後年千葉氏の支城となりて鴇ヶ嶺城と云う。後東鐘城と唱へまた鴇ヶ根城と号す。大永元年(1521)東金城と改称せり」とある。
東金では 明細帳[1]に「村名之儀は往古は辺田方と唱申候処、慶長十九甲寅御成之節より東金町と唱申候」とあり、慶長19年(1614年)徳川家康がはじめて同地を訪れた折から東金町と称したという [2]

古墳時代後期(6世紀)末、玉崎神社裏横穴群が作られる。 807年(大同2年)伝教大師最澄によって、背後の鴇ヶ嶺山頂の山王大権現(現:古山王神社)とともに一宇を改修し天台宗の寺院として最福寺が創建される。 1249年(建長元年)北条赤橋流初代の北条長時總州上總下總)の守護に任ぜられ、久我台城を築城した。 1280年(弘安3年)北条久時が總州守護に任ぜられた際に赤橋北条氏の總州に於ける氏寺として、願成就寺が創建される。開基は北条久時 江戸時代初期、徳川家康徳川秀忠鷹狩に訪れる。その為東金御成街道東金御殿などを整備。  (Wikipedia)

 

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JR東金駅着。

徒歩十数分で、
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東金高校の前・・・この場所には、かつて「東金御殿」がありました。

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「御成街道」と呼ばれる道。家康と秀忠の鷹狩りがその由来。

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駅前ラーメン~千葉名所 K&S~【関東探索記2018-4】

千葉の夜・・・ ラーメンを検索すると、
http://blog.livedoor.jp/lanciba/archives/51828829.html 等で気になる記事を見つけたのです。
ということで・・・行ってみました。千葉駅の近くにある、その場所に・・・
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駅前ラーメン

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チャーシュウメン

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とても印象深い・・・記憶から消えることがない味わいでした

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