YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

2019年02月

バスカヴィル家の犬&深読み読書会

ずいぶん前に録画していた『深読み読書会』に参加するために、「バスカヴィル家の犬」を読了。初めてのシャーロック・ホームズ(コナン・ドイル)となりました★
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バスカヴィル家の犬』(バスカヴィルけのいぬ、The hound of the Baskervilles)は、アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの長編小説のひとつ。『バスカービルの魔犬』などの訳題も用いられる。

魔犬の伝説が伝わる富豪のバスカヴィル家で、当主のチャールズ・バスカヴィル卿が死体で発見される。表向きには心臓発作による病死と発表されたが、卿の死体のそばには巨大な犬の足跡があった。
ホームズは、事件の調査を、チャールズ卿の主治医であり、友人でもあるモーティマー博士から依頼される。子息のいないチャールズ卿の正統な後継者は、チャールズ卿の甥にあたる若きヘンリー・バスカヴィル卿一人である。しかし、モーティマー博士に伴われてロンドンにやってきたヘンリー卿の元に、バスカヴィルの館へ赴くことを警告する謎の手紙が届く。
ホームズは、ロンドンで別の事件に携わる必要があるといい、ワトスンが代わりにヘンリー卿の客人として入館に同行する。
委細ありげな執事のバリモアとその妻、脱獄囚のセルデン、近所に住む昆虫学者のステープルトンとその美しい妹ベリル嬢など、ワトスンは見聞きしたことをホームズに向けた手紙や自らの日記に綴る。バリモアとその妻の不審な行動は何故なのか、凶悪な殺人犯セルデンは何処へ潜んでいるのか、ベリル嬢はなぜ自分や、彼女に求婚するヘンリー卿にここを立ち退くよう懇願するのか。そして、自分が湿地帯ではっきり聞いた恐ろしい声は「魔の犬」の咆哮ではないのか……。
さらに、それらの誰でもない未知の人物が、身近に潜んでいることをワトスンは知る。 (Wikipedia)


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このシリーズは、横溝正史・松本清張などをやって来ましたが、見逃したものが多い・・・今回はコナン・ドイルでした。やはり奥が深いですな。

NHKから連絡がありましたのでご参考まで。
異なるタイトルを統合して13作品らしいです。

【これまでの読書会シリーズ 13作品一覧】
1「虞美人草殺人事件~漱石・百年の恋物語」(2007 年)
2「太宰治『人間失格』裁判」(2009 年)
3「偉大なるミステリー作家たち アガサ・クリスティー」(2009 年)
4「漱石 『こころ』 100 年の秘密」(2014 年)
5「妖しい文学館 『春琴抄』〜大文豪・谷崎潤一郎という迷宮」(2015 年)
6「妖しい文学館 あなたの知らない名探偵・明智小五郎と怪人二十面相の秘密」(2015 年)
7「Jミステリーはここから始まった!松本清張『ゼロの焦点』」(2016 年)
8「Jミステリーはここから始まった!横溝正史『八つ墓村』」(2016 年)
9「深読み読書会 横溝正史の大ベストセラー!『犬神家の一族』」(2016 年)
10「深読み読書会 夏目漱石『三四郎』108 年目のプロポーズ」(2016 年)
11「深読み読書会 シャーロック・ホームズの最高傑作!?『バスカヴィル家の犬』」(2017 年)
12「深読み読書会 宮部みゆき~時代小説の最高峰!?“孤宿の人”」(2018 年)
13「深読み読書会 小松左京 戦後最大の問題作!?“日本沈没”」(2018年)

続いて、

14深読み読書会「悪魔の手毬唄」 横溝正史
15深読み読書会「孤島の鬼」 江戸川乱歩 が最新回のようです。

追記:
深読み読書会「悪魔が来りて笛を吹く(横溝正史)」 放送日:2019年10月9日 NHK BSプレミアム


姫島殺人事件

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【内容情報】(出版社より)
大分県国東半島の先に浮かぶ姫島で起きた殺人事件。取材で滞在していた浅見光彦は、惨殺された長の息子と彼を取り巻く島の人々の微妙な空気に気づく。島の人々が何をしてでも守りたいものとは、なんだったのかーー。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
神話の島・姫島の取材中に、浅見が出会った理知的な美女・中瀬古朝子。郷土史を研究する彼女の案内で島を巡る際、島の名家の息子・優貴雄から脅迫を受ける。その後、帰京した浅見の元に届いたのは、優貴雄の惨殺死体が発見されたという知らせだった。さらに浅見の仕事仲間も姫島盆踊りの日に姫島で死体となって発見される。一連の事件の背後にある美しき島に蠢く恐ろしい陰謀とは!?そして浅見が暴く悲しき家族の真実ー。


やはり「島」には閉鎖的な雰囲気と神秘的な魅力がありますな・・・離島に行きたい

伊予の戦国時代~岡山県立博物館~

先日、岡山県と中四国各県の交流展示に行ってきました。今回は愛媛県との交流で、「伊予の戦国時代」です★
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平成18年度より始まった中四国の県との文化交流事業は、平成30年度から愛媛県歴史博物館と交流を行います。初年度は、戦国時代に伊予国を治めた戦国大名河野氏を中心に、同国内にいた戦国武将たちの事績を取り上げます。天正年間に土佐国の戦国大名長宗我部元親に対抗した様子を知ることのできる史料も含め、伊予国での戦国時代の状況について紹介しますhttp://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kenhaku/schedule.htm#kouryuten

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以前から少々・・・伊予の守護・戦国大名:河野氏の最後の当主となった河野通直が気になっていました。

河野 通直(こうの みちなお)は、伊予国戦国大名河野氏最後の当主。
先代の河野通宣(伊予守、左京大夫)に嗣子が無かったため、その養嗣子となって永禄11年(1568年)に後を継いだ。しかし幼少だったため、成人するまでは実父の通吉が政治を取り仕切った。この頃の河野氏はすでに衰退しきっており、大友氏一条氏長宗我部氏に内通した大野直之の乱に苦しんでいたが、毛利氏から援軍を得て、何とか自立を保っていた。
通直は若年の武将ではあったが、人徳厚く、多くの美談を持つ。反乱を繰り返した大野直之は、通直に降伏後その人柄に心従したという。豊臣秀吉による四国攻めが始まると、河野氏は進退意見がまとまらず、小田原評定の如く湯築城内に篭城するが、小早川隆景の勧めもあって約1ヶ月後、小早川勢に降伏した。この際、通直は城内にいた子供45人の助命嘆願のため自ら先頭に立って、隆景に謁見したという。この逸話はいまだ、湯築城跡の石碑に刻まれている。
通直は命こそ助けられたが、所領は没収され、ここに伊予の大名として君臨した河野氏は滅亡してしまった。通直は隆景の本拠地である竹原にて天正15年(1587年)に病死(隆景が通直を弔った墓は竹原に現存)。養子に迎えた宍戸元秀の子・河野通軌が跡を継いだ。 (Wikipedia)

珈琲貴族エジンバラ~24時間純喫茶~【関東甲州探見録12】

旅の最後に、夜行列車出発までの時間調整をするため靖国神社から新宿に移動しました。
24時間営業の純喫茶へ★
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珈琲貴族エジンバラ
東京都新宿区新宿3-2-4

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由来はスコットランドのエジンバラのようです。

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ハンバーグサンドと

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貴族ブレンドとともに読書



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その後、新宿の温泉へ

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時間が来たので東京駅から

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定刻の22時に夜行列車出発・・・関東をあとに

ということで、【関東甲州探見録】終了となりました・・・東京再訪なるか・・・

靖國神社:遊就館~近代史の回想~【関東甲州探見録11】

翌日、地下鉄に乗って九段下の靖國神社へ★
東京の思い出【靖国神社】 以来の参拝です。
最近読んでいるめしあげ!!~明治陸軍糧食物語~の影響で、軍隊ゆかりの「カレー」が食べたくなったのもあって靖國再訪となりました。
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靖国神社(正式表記:靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社である。
幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、嘉永6年(1853年)のペリー来航(いわゆる「黒船来航」)以降の日本の内外の事変戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀り、その柱数(柱(はしら)はを数える単位)は2004年平成16年)10月17日現在で計246万6532柱にも及ぶ(詳細は「祭神の内訳」を参照)。当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていたが、1904年明治37年)から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。この語は直接的には幕末の藤田東湖の漢詩「文天祥正気の歌に和す」の「英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり」の句が志士に愛唱されていたことに由来する[9]
本殿での祭神の神座は当初は1座であったが、1959年(昭和34年)に創建90年を記念して台湾神宮および台南神社に祀られていた北白川宮能久親王と、蒙彊神社張家口)に祀られていた北白川宮永久王とを遷座合祀して1座を新たに設けた。従って現在の神座は、英霊を祀る1座と能久親王、永久王を祀る1座の2座である。
祭神の内訳
祭神の主な内訳は、以下の通り(2004年(平成16年)10月17日現在)。戦争・事変名は靖国神社自身の表記に拠る[10]年代順ソート。 (Wikipedia)

戦争・事変名柱数備考
1868年-1869年/戊辰戦争明治維新0007751/7751柱新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。
1877年/西南戦争0006971/6971柱政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。
1874年/台湾出兵
(別名:征台の役)
0001130/1130柱遊就館の靖国の神々の一覧表では、「台湾討伐」とある。
1875年/江華島事件0000002/2柱 [* 1]
1882年/壬午事変0000014/14柱 [* 2]
1882年/京城事変
甲申政変
0000006/6柱 [* 3]遊就館の「靖国の神々の一覧表」では、壬午事変、江華島事件、京城事変はなぜか一覧表にない。
1894年-1895年/日清戦争0013619/1万3619柱
1900年/義和団事件0001256/1256柱遊就館の「靖国の神々」の一覧表では、「北清事変」とある。
1904年-1905年/日露戦争0088429/8万8429柱常陸丸事件英国人船員は対象外。ただし、6月15日斎行の常陸丸殉難記念碑前での慰霊祭では、等しく慰霊されている。
1914年-1918年/第一次世界大戦0004850/4850柱
1920年/青山里戦闘0000011/11柱
1928年/済南事件0000185/185柱
1930年/霧社事件
1931年06月/中村大尉事件0000019/19柱 [* 4]
1931年09月-1932年02月/満洲事変0017176/1万7176柱
1937年-1945年/支那事変
日中戦争
0191250/19万1250柱
1941年-1945年/大東亜戦争
(太平洋戦争)
2133915/213万3915柱第一次インドシナ戦争[* 5]などの「太平洋戦争後のアジア独立戦争」で戦没した者も含む。
246万6584柱

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靖國狛犬

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中国獅子

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拝殿参拝は断念して遊就館へ

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幕末維新期の動乱から大東亜戦争太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した日本における「最初で最古の軍事博物館」[1]
「遊就館」という名称は、『荀子』勧学篇の「君子居必択郷遊必就士」(くんしはおるにかならずきょうをえらびあそぶにかならずしにつく)に拠る。 (Wikipedia)

遊就館の有料展示へ・・・明治から昭和までの近代史を戦争の視点から回想できます。

2階から見るフリースペースからの風景↓
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十五糎加濃砲・十五糎榴弾砲・零戦52型

2階通路に置いている、16世紀の大砲『国崩し』が印象的・・・島津軍が鹵獲したようです。
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「実物」の展示室へ

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桜花の回想・・・特攻兵器:桜花

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今回もまた展示品鑑賞の時間不足・・・

あらためて明治維新から特攻敗戦まで・・・激動の近代史を振り返りました。



鑑賞回想が終わり、遊就館の喫茶室にて・・・
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海軍カレーと海軍コーヒーで至福のひととき

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