翌日、朝の新京極通りへ。
10時前、蛸薬師前の行列に加わります。






境内の妙心寺で年越し蕎麦を注文。

退出時にも行列継続中の蛸薬師。
永福寺(えいふくじ)は、京都府京都市中京区にある浄土宗西山深草派の寺院。通称蛸薬師堂(たこやくしどう)と呼ばれる。
10時前、蛸薬師前の行列に加わります。






境内の妙心寺で年越し蕎麦を注文。

退出時にも行列継続中の蛸薬師。
永福寺(えいふくじ)は、京都府京都市中京区にある浄土宗西山深草派の寺院。通称蛸薬師堂(たこやくしどう)と呼ばれる。
養和元年(1181年)、比叡山延暦寺根本中堂の本尊である薬師如来を信仰している僧林秀の夢枕にその薬師如来があらわれて、「昔、最澄が彫った自分の石仏が比叡山にあるので掘り起こすように」と言うので、翌日その通りに掘ると薬師如来の石仏が現れた。林秀は歓喜し、二条室町の地にその薬師如来の石仏を本尊とする六間四面の堂を建立し、永福寺と名付けたのが当寺の起源である。霊験あらたかであり、嘉吉元年(1441年)には後花園天皇の勅願寺となる。
中世には俗称として「蛸薬師」の名が付けられていたが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉が寺院を集めて寺町を作ろうとしたことによって、現在地の新京極に移転する。それ以来、蛸薬師を参拝する東西の参道を蛸薬師通と呼ぶようになった。
明治時代となり、廃仏毀釈や京都府参事槇村正直による1872年(明治5年)に行われた新京極通の新設により寺地が狭まり、現在に至る。また境内には阿弥陀如来を本尊とする法性山無量寿院妙心寺という寺がある。(Wikipadia)