2021年04月
- カテゴリ:
- 日記・雑感・覚書

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
鎌倉と京、公武権力構図の転換点とされる承久の乱。治天の君=後鳥羽院が歌に込めた「道ある世」への希求とは何だったのか。諸史料を中心に、協調から武闘路線への道をたどり、隠岐に配流された後鳥羽院のその後にも迫る。
【目次】(「BOOK」データベースより)
1 承久の記憶(近世の記憶/近代における「承久の記憶」/中世の組み換え/「至尊」と「至強」)/2 承久の乱の諸相(承久元年ー武家の危機/承久二年ー深まる危機/承久三年ー公武闘諍)/3 敗者たちのそれぞれ(後鳥羽院と至尊たち/公卿たちの周辺/武士たちの周辺)/4 後鳥羽院のその後(隠岐の後鳥羽院/京都と鎌倉のその後/無常の道へ)

今年は承久の乱から800年、、、
京都で開催中の特別展、京都文化博物館の「承久の乱」展に向けて読了(=^・^=)
コロナ禍再拡大中・・・大阪・兵庫・京都では緊急事態宣言に向かう・・・4月末までに京都に行けるか?


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
一般的に「義の武将」として知られ、絶大な人気を誇る戦国武将・上杉謙信。しかし、この「義の武将」、あるいは「軍神」といった彼のイメージは、実は近世以降に越後流軍学者をはじめとする人々によって作られたものであることがわかっています。では、実際の上杉謙信とはどのような人物だったのでしょうか?本書では、発給文書や寺社に納めた願文など、一次史料を主な材料に、謙信の実像に迫ってゆきます。戦国大名家の当主をつとめるにあたり、いかに苦悩し、そして時に激情に突き動かされたのか。史料が雄弁に語るのは、喜怒哀楽を備えた人間としての上杉謙信でした。それでは、半世紀に満たない彼の激動の生涯を、共に辿っていきましょう。
【目次】(「BOOK」データベースより)
序章 此名字関東より罷り移り/第1章 景虎1-吾これ幼稚にして父母に後れ/第2章 宗心ー越後に万端退屈共候/第3章 景虎2-国之儀一向捨て置き、無二上意様御前守り奉るべく、存じ詰め候/第4章 政虎ー政虎一世中亡失すべからず候/第5章 輝虎1-仮国ニも料所一ケ所もまつらハす候間、当座之依怙非分ニ有間敷事/第6章 輝虎2-天下之嘲可為此一事候/第7章 謙信1-一偏当家之弓矢わかやぐべき瑞相ニ候/第8章 謙信2-熊・越・賀存分之侭ニ申付…/終章 この上は関左に到り越山これ成したるべく
今後の課題として、享徳の乱前後の情勢も整理しないと・・・(=^・^=)

【内容情報】(出版社より)
戦国時代の幕開けとなった享徳の乱。関東戦国史を最前線で牽引してきた著者が新たな視点や解釈を用いて、29年の長きにわたり複雑をきわめた戦いの全貌を初めて解き明かします。年代や戦いの局面による項目分け、見開きを中心とした構成、豊富な図版類など読みやすさも追究。年表としても使える、新事実満載・読み応え十分の内容になっています!
【目次】(「BOOK」データベースより)
将軍足利義政・関東管領と足利成氏が争う 享徳3年(1454)~康正元年(1455)/千葉・佐竹・岩松などの一族が分裂し争乱へ 康正2年(1456)/五十子陣の構築と京より派遣された新公方 康正3年・長禄元年(1457)~長禄3年(1459)/所領支配の激変で“国衆”へと移行する武家 寛正元年(1460)~寛正4年(1463)/堀越公方の武蔵進軍と相次ぐ実力者の死去 寛正4年(1463)~応仁3年・文明元年(1469)/北関東の激戦と成氏の古河没落 文明2年(1470)~文明4年(1472)/駿河今川氏の内乱鎮定へ出陣する上杉軍 文明5年(1473)~文明8年(1476)/長尾景春の反乱で太田道潅が進軍を開始 文明9年(1477)/成氏が景春を見限り、道潅に討伐を指示 文明10年(1478)/連戦・連勝、景春を秩父へと追い詰める道潅 文明11年(1479)/将軍義政へ和議を乞う成氏 文明12年(1480)/都鄙和睦と道潅暗殺ー戦乱、未だ止まず 文明13年(1481)~長享元年(1487)