2022年11月
先日、11月13日のこと・・・倉敷市林の熊野神社へ。
頼仁親王墓(後鳥羽天皇皇子)の訪問以降・・・・・・
以前から行こうと考えつつ、後回しになっていた後鳥羽上皇の供養塔を訪ねてきた(=^・^=)
昨年は承久の乱800周年記念であったにもかかわらず、コロナ禍等々の事情で隠岐に行くことが
できず・・・
今年は大河ドラマ:鎌倉殿の13人で、もうすぐ承久の乱が始まるというタイミングをきっかけにして倉敷の供養塔を訪ねることに。
訪問前に蔵書の記事を振り返り、現地では供養塔周辺の幽玄な雰囲気を感じることができた★



















五流尊瀧院(ごりゅう そんりゅういん)は岡山県倉敷市林に所在する修験道の寺院。本尊は十一面観音。天台修験系の一宗派である「修験道」の総本山である。
修験道の祖と言われる役小角(役行者)は文武天皇3年(699年)朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。役行者について正史が伝えることは以上であるが、伝承によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の熊野神社の地に紀州熊野本宮を遷座し、5人の高弟それぞれが尊瀧院、大法院、建徳院、報恩院、伝法院の五流の寺院を建造した。中でも尊瀧院が中心寺院となった。(Wikipedia)
頼仁親王墓(後鳥羽天皇皇子)の訪問以降・・・・・・
以前から行こうと考えつつ、後回しになっていた後鳥羽上皇の供養塔を訪ねてきた(=^・^=)
昨年は承久の乱800周年記念であったにもかかわらず、コロナ禍等々の事情で隠岐に行くことが
できず・・・
今年は大河ドラマ:鎌倉殿の13人で、もうすぐ承久の乱が始まるというタイミングをきっかけにして倉敷の供養塔を訪ねることに。
訪問前に蔵書の記事を振り返り、現地では供養塔周辺の幽玄な雰囲気を感じることができた★



















五流尊瀧院(ごりゅう そんりゅういん)は岡山県倉敷市林に所在する修験道の寺院。本尊は十一面観音。天台修験系の一宗派である「修験道」の総本山である。
修験道の祖と言われる役小角(役行者)は文武天皇3年(699年)朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。役行者について正史が伝えることは以上であるが、伝承によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の熊野神社の地に紀州熊野本宮を遷座し、5人の高弟それぞれが尊瀧院、大法院、建徳院、報恩院、伝法院の五流の寺院を建造した。中でも尊瀧院が中心寺院となった。(Wikipedia)
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