2023年01月
今回の目的のひとつである遊行寺宝物館にて「後醍醐天皇御像」の鑑賞。
以前、特別展:室町将軍 - 戦乱と美の足利十五代 - (九州国立博物館)~福岡散歩1~
の時に観たものの、あらためて追加知識とともに浸りました。
【参考】
鎌倉幕府滅亡と北条氏一族 (敗者の日本史)
後醍醐天皇と建武政権 (読みなおす日本史)

遊行寺宝物館ホームページ (coocan.jp)
遊行上人の住む寺「遊行寺」と、人々から親しみをこめて呼ばれた藤澤山無量光院清浄光寺は、鎌倉時代に全国を遊行した一遍上人によって開かれた時宗の総本山です。正中二年(1325)遊行四代呑海上人は、江島弁財天窟に十七日間参籠し、白蓮が生える地を居とせよと神託をうけた後に藤澤山中に白蓮を見つけます。そして実兄である相模国俣野荘地頭・俣野五郎景平の帰依を受けて当地に清浄光寺を建立し止住したのです。
遊行寺には、遊行上人への信仰と共に、数多くの宗教絵画や工芸品等が伝承されています。時宗美術と称される品々は、遊行寺宝物館にて維持管理され、企画展示を通じて適時公開をしております。さて、新年最初の特別展「遊行寺の逸品」では、時宗美術の代表作である一遍上人像や一遍上人縁起絵をはじめ、中世天皇肖像画の代表作として名高い「後醍醐天皇御像」、光明皇后伝が軸木に残る「阿弥陀三尊来迎図」、奈良時代後期を代表する写経「増壹阿?経」(善光朱印経)、今川義元や武田信玄など名だたる武将の中世文書、冷泉為和筆「古今和歌集」や飛鳥井雅俊筆「伊勢物語」など公家との繋がりを示す典籍。南宋時代龍泉窯の香炉や鎌倉時代の木造阿弥陀如来立像など、年始特別公開期間だからこそ見ることのできる逸品が勢揃いします。
このたびは、遊行寺の名宝を一堂に公開。時宗美術と歴史を同時に堪能できる貴重な機会となります。展示室にて名宝の数々をお楽しみ下さい。2023年1月吉日 遊 行 寺 宝 物 館


■ 展示作品リスト ■
県指定重文 | 一遍上人像 | 絹本著色 | 南北朝時代 |
藤沢市指定 | 他阿真教像 | 絹本著色 | 室町前期 |
重要文化財 | 後醍醐天皇御像 | 絹本著色 | 南北朝時代 |
重要文化財 | 一向上人像 | 絹本著色 | 南北朝時代 |
藤沢市指定 | 太空上人像 | 絹本著色 | 室町時代 |
釈迦三尊像 | 絹本著色 | 室町時代 | |
阿弥陀来迎図 | 絹本著色 | 室町時代 | |
弥陀如来来迎図 伝光明皇后 | 絹本著色髪繍 | 鎌倉時代 | |
出船釈迦像 雪村筆 | 紙本著色 | 室町時代 | |
羅漢図 | 絹本著色 | 室町時代 | |
大隅正八幡影向図 遊行四十二代尊任賛 | 絹本著色 | 江戸時代 | |
五仏尊像 | 絹本著色 | 鎌倉時代 | |
役行者前後鬼像 | 絹本著色 | 室町時代 | |
白山曼荼羅図 | 絹本著色 | 室町時代 | |
県指定重文 | 二河白道図 | 絹本著色 | 南北朝時代 |
熊野十二所権現像 | 絹本著色 | 元禄2年(1689) | |
当麻曼荼羅 | 絹本著色 | 江戸時代 | |
県指定重文 | 一遍上人縁起絵(甲本) 第一巻 | 紙本著色 | 南北朝時代 |
一遍上人縁起絵(乙本) 第二巻 | 紙本著色 | 江戸時代 | |
藤沢市指定 | 増壹阿含経 第三十六(善光朱印経) | 紙本墨書 | 奈良時代 |
大般若経巻五百七十七 | 色紙金字 | 奈良時代 | |
称讃浄土仏摂受経 | 紙本墨書 | 奈良時代 | |
紺紙金銀字交書維摩詰経巻下残経(中尊寺経) | 紺紙金銀字 | 平安時代 | |
重要美術品 | 金字阿弥陀経(蝶鳥経) | 紙本金字色紙 | 平安時代 |
大宝積経巻第百十九 (色定法師一筆一切経) | 紙本墨書 | 鎌倉時代 | |
古今和歌集 冷泉為和筆 | 紙本墨書 | 天文13年(1544) | |
題会之庭訓和歌会次第 冷泉為和筆 | 紙本墨書 | 室町時代 | |
古今伝授神壇図 | 紙本著色 | 江戸時代 | |
伊勢物語 鹿子木民部少輔鎮貞筆 | 紙本墨書 | 鎌倉時代 | |
伊勢物語 飛鳥井雅綱筆 | 紙本墨書 | 室町時代 | |
徒然草 | 紙本墨書 | 室町時代(15~16世紀) | |
いろは歌 青蓮院宮尊純法親王筆 | 色紙墨書 | 寛永17年(1640)頃 | |
藤沢市指定 | 聖徳太子傳暦 巻下 | 紙本墨書 | 嘉暦元年(1326) |
重要文化財 | 安食問答 二祖真教筆 | 紙本墨書 | 鎌倉時代 正和3年9月9日(1314) |
重要文化財 | 六時居讃 | 紙本墨書 | 南北朝時代 |
武田信玄判物 | 紙本墨書 | 元亀2年7月16日(1571) | |
今川義元書状 | 紙本墨書 | 12月13日(室町時代) | |
足利義昭御内書 (室町幕府第十五代将軍) | 紙本墨書 | 7月19日(室町時代) | |
足利義澄御内書 ((室町幕府第十一代将軍) | 紙本墨書 | 4月27日(室町時代) | |
後円融天皇綸旨 (北朝5) | 紙本墨書 | 康暦二年二月十一日(1380) | |
後小松天皇綸旨 (北朝6) | 紙本墨書 | 応永十九年四月七日(1412) | |
後土御門天皇綸旨 | 紙本墨書 | 応仁元年五月廿日(1467) | |
青磁袴腰香炉 | 龍泉窰 | 中国南宋代(13c) | |
青磁牡丹唐草文香炉 | 龍泉窰 | 中国南宋代(13c) | |
青磁人物燭台 | 龍泉窰 | 中国元代(14c) | |
仏舎利塔 伝俵藤太旧蔵 | |||
阿弥陀如来立像 | 木造 | 鎌倉時代 | |
宇賀神立像(吉祥天像) | 木造 | 室町時代 | |
空也上人像 | 木造 | 室町時代 |
関東戦乱の幕開けともいうべき『上杉禅秀の乱』における戦死者の供養塔。
【参考】図説鎌倉府
上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)とは、室町時代の応永23年(1416年)に関東地方で起こった戦乱。前関東管領である上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方の足利持氏に対して起した反乱である。禅秀とは上杉氏憲の法名。
応永18年(1411年)2月9日、山内上杉家の上杉憲定の後を継いで関東管領に就任し、若年であった鎌倉公方足利持氏を補佐した[注釈 1]。しかし持氏は氏憲を疎ましく思い、氏憲の対立者であった憲定の息子憲基を重用するようになる。また、朝宗以来の犬懸上杉家の急激な勢力拡大は山内上杉家を脅かすに至った。
応永22年(1415年)には氏憲(禅秀)の家臣の不出仕を理由に所領を没収し、禅秀が抗議して5月2日に関東管領を辞任すると、持氏は憲基に継がせた。これに不満を抱いた禅秀は、持氏の叔父満隆と養嗣子で持氏の弟持仲らと共謀の上挙兵して持氏の居館を襲撃し、持氏・憲基を駿河・越後に追放して鎌倉を制圧した。
しかし室町幕府4代将軍足利義持は持氏の救援を支持し、北からは上杉房方(憲基の伯父)、西からは今川範政を中心とした幕府軍が攻め寄せる。禅秀は防戦したが、配下の武将達が次々と離反するに及んで遂に力尽き、応永24年(1417年)1月10日、満隆や持仲と共に鶴岡八幡宮の雪ノ下の坊で自害した(上杉禅秀の乱)。(Wikipedia)



