先日、年末年始のこと・・・冬の京都を散歩してきました★
まずは、以前から気になっていた京都の市街地にある「明智光秀の首塚」。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送開始間近ということで、この機会に訪ねることに。
【参考記事】本能寺址~敵は本能寺にあり~【冬の京都散歩1】
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京都駅で東から上洛したemiさんと合流して、河原町方面に移動・・・四条通りから八坂神社を経由して白川沿いを北へ歩きます。

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白川沿いの餅寅に到着。
この日・・・正月用の餅販売のみで餅寅の名物「光秀饅頭」は、販売されていませんでした。
(参考)https://www.kyoto-inf.com/2018/07/12/posted-mitsuhidemanju/

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大河ドラマの影響か・・・数人の方々が訪れていました。

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光秀は坂本城を目指して落ち延びる途中[注釈 27]落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺されて深手を負ったため自害し、股肱の家臣・溝尾茂朝に介錯させ、その首を近くの竹薮の溝に隠したという[11][注釈 28]。 光秀の首は発見した百姓により翌日、村井清三を通じて信孝の元に届き、まず本能寺でさらされた。その後同月17日に捕まり斬首された斎藤利三の屍とともに京都の粟田口(現・京都府京都市東山区・左京区)に首と胴をつないでさらされた後、同年6月24日に両名の首塚が粟田口の東の路地の北に築かれた(『兼見卿記』)[10]。『太田牛一旧記』によれば、小栗栖で落ち武者などがよく通る田の上の細道を、光秀ら十数騎で移動中、小藪から百姓の錆びたで腰骨を突き刺されたとする。その際、最期と悟った光秀は自らの首を「守護」の格式を表す毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)に包んで知恩院に届けてくれと言い残したという[37]
明智光秀首塚、首はこの地に埋められたと伝えられる。のちに五重石塔が作られ首塚として知られる。『兼見卿記』に記録された箇所にも概ねあたる。京都市
東山区三条通白川橋下る東側(Wikipedia)

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