続いて、帰路の東京駅へ向かう前に御茶ノ水駅周辺の地形鑑賞(=^・^=)
複雑な地形に鉄道を建設した明治の人々には感心しますが、神田川(仙台堀)を切り開いた仙台藩の苦労も偲ばれます★
【参考】
【昭和8年完成】御茶ノ水のすごさを解説する動画【2001東京1】御茶ノ水駅 1/10-01
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御茶ノ水駅1

御茶ノ水駅2
第二代将軍徳川秀忠の時代には、旧・平川下流域の洪水対策と外濠機能の強化として、神田山(本郷台地)に当って南流していた流路を東に付け替える工事が行われた[3][5][6]
1620年元和6年)、秀忠の命を受け、仙台藩祖の伊達政宗が現在の飯田橋駅近くの牛込橋付近から秋葉原駅近くの和泉橋までの開削を担当した。小石川見附門(現在の三崎橋付近)から東に神田山を切り通して湯島台と駿河台とに分け、現在の御茶の水に人工の谷(茗渓)を開削した[5][6][3][7][8]
このため、この区間は特に「仙台堀」あるいは「伊達堀」とも呼ばれる
[5][6][3][7]。本郷台地の東では旧石神井川の河道を流れる小河川と合流させて真東に向かい、現在の浅草橋柳橋の東で隅田川に合流させた[3]
開削当初の「仙台堀」は川幅が狭く洪水を解消する機能にも事欠いたが、幕府は
河川舟運に供するため拡幅するよう仙台藩第4代藩主伊達綱村に命じ、1660年万治3年)より拡幅工事がなされた[5][注釈 4]。この拡幅された掘割から河口までを神田川と呼んだ[8][注釈 5]。広く開削された旧・平川を舟運が船河原橋[注釈 5][10](ほぼ現在の飯田橋)まで通じるようになった。(Wikipedia)

御茶ノ水駅3

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0泊3日・・・東京の旅でした・・・