YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

歴史的事柄

独軍戦闘糧食:ショカコーラ

【参考】独軍戦闘糧食を通販注文・・・試食してみた★
独軍支給品

ショカコーラ(Scho-Ka-Kola)はドイツで販売されているチョコレートのブランド[1]カカオの他、コーヒーコーラの実を原材料に使用しており、含有するカフェイン量が多いチョコレートであるのが特徴[1]。「エネルギーチョコレート」と呼ばれることもある[1]1935年ベルリンで開発された[1][2]。名称はドイツ語で、チョコレート(Schokolade)、コーヒー(Kaffee)、コーラの実(Kolanuss)の意味である[1][2]アスリートのための栄養補給食としてオリンピックで利用されたり、第二次世界大戦中はドイツ軍戦闘糧食としても採用された[1][2]。(Wikipeda)

旧石器捏造事件 発覚(2000年11月5日:毎日新聞)

最近・・・偶然観た解説動画で衝撃を受けて、約20年前のかすかな記憶がよみがえりました。
当時、この事件について、それほど衝撃を受けなかったのですが、あらためて事の重大さに気が付きました。
ということで先日、県立図書館で当時の記事を確認してきたのです。

長期間にわたり、捏造した本人が実行していた発掘中の地層に石器を埋めるという、大胆な行動には驚きますが、発掘グループのメンバーは捏造行動については全く知らなかったということになっています・・・懐疑的・・・。

【衝撃を受けた動画】
【ゆっくり歴史解説】黒歴史上人物「藤村新一(ゴッドハンド)」[前編]
https://www.youtube.com/watch?v=PfEYlu3UK4Q
【ゆっくり歴史解説】黒歴史上人物「藤村新一(ゴッドハンド)」[中編]
https://www.youtube.com/watch?v=SrA9HasFkkU
【ゆっくり歴史解説】黒歴史上人物「藤村新一(ゴッドハンド)」[後編]
https://www.youtube.com/watch?v=AMu3JkwyNY8

2000年11月5日 毎日新聞のスクープ記事↓
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2000年11月6日 山陽新聞の記事↓
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旧石器捏造事件(きゅうせっきねつぞうじけん) は、日本各地で「~
原人」ブームを巻き起こした日本の前期・中期旧石器時代遺物遺跡だとされていたものが、発掘調査に携わっていた考古学研究家藤村新一自ら事前に埋設した石器を自ら掘り出して発見したとする自作自演捏造だったと発覚した事件である。藤村は1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていたが、石器を事前に埋めている姿を2000年11月5日毎日新聞朝刊にスクープされ、不正が発覚した。これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大の不祥事となり、海外でも報じられた。火山灰層の年代にのみ頼りがちであったことなど、旧石器研究の科学的手法による検証の未熟さが露呈された事件であった。
なお、縄文時代以降では明確な遺構地下掘削して造られており、の性格から直ちに真偽が判断可能なため、捏造は不可能である。

2000年11月の発覚当時、「捏造」を行っていた藤村新一は民間研究団体「東北旧石器文化研究所」の副理事長を務めていたが、彼が捏造を開始したのは1970年代にアマチュアとして、宮城県の旧石器研究グループ「石器文化談話会」に近づいた時からだった。同会は、日本における前期旧石器の存在の可能性をかねてより唱えていた芹沢長介東北大学教授の門下生・岡村道雄をリーダーとした考古学者らと藤村のような在野の考古学愛好者らから成る発掘調査チームだった。藤村は捏造発覚までの約25年間、周囲の研究者が期待するような石器を、期待されるような古い年代の土層[注 1]ローム層)から次々に掘り出して見せ、そのことによってグループにとって欠かせない人物として評価され、後に「神の手」と呼ばれるまでになった。また、そうした「考古学的大発見」を町興しや観光につなげたい地元関係者からも歓迎された。

しかし、「発見」された遺物の9割方は、彼自身の手によって表面採集されたり発掘されたものであり、他人の手によって発掘されたものは、彼があらかじめ仕込んでおいたものとされている。彼が掘り出して見せたり、埋められていた石器は、自らが事前に別の遺跡の踏査を行って集めた縄文時代の石器がほとんどであると考えられている。ただし、それらの遺跡は東北地方のどこかのはずだが、完全に追跡され、突き止められるには至っていない。捏造された「偽遺跡」は、宮城県を中心とし、一部北海道南関東にまで及んでいる。

毎日新聞のスクープで指摘されたのは、宮城県の上高森遺跡および北海道の総進不動坂遺跡だったが、彼のかかわった全ての遺跡について再点検が行われ、彼のかかわった「石器」の多くに発掘時の「がじり」[注 2]ではありえない傷や複数回にわたってと擦過した痕跡である「鉄線状痕」などが認められた。また一部の遺跡について再発掘が行われ、掘り残されていた捏造石器が発見されるに及び、捏造が確定するに至った。このため、上高森遺跡をはじめ、座散乱木遺跡馬場壇A遺跡高森遺跡など、多くの遺跡が旧石器時代の史跡としての認定を取り消されたりした[1]。 (Wikipedia)

造山古墳~後円部に大量葺石~

以前から現地説明会等に参加したりして、注目している「造山古墳」の発掘調査・・・新たな報告がありました★

【山陽新聞2018/11/8】
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最古級の日本地図 14世紀中ごろ 広島の博物館が確認

これはもう、現物を観に行かなければ\(◎o◎)/!
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毎日新聞2018年6月15日 20時34分(最終更新 6月15日 21時13分)
広島県立歴史博物館(福山市)は15日、14世紀中ごろ(室町時代初期)に描かれたとみられる日本地図を確認したと発表した。本州から九州までが記され、全域が残った地図では最古級という。同館は「地図の記載に鎌倉、室町時代の過渡的な要素が含まれ、日本地図の変遷をたどる上で重要」としている。
 現存する最古の日本地図は京都・仁和寺に残る「日本図」(1305年)とされるが、西日本が欠けていた。全域が描かれたものは、これまで「拾芥抄(しゅうがいしょう)」(1548年)が最古とされていた。
 今回、新たに確認されたのは「日本扶桑(ふそう)国之図」(縦122センチ、横57センチ)。「扶桑」は古代の日本の異称で、地図は山城国(現在の京都府南部)を中央にして九州を上、東北を下にし、国内の旧68カ国の位置が丸みを帯びた形で描かれ、名称も記されている。九州の近くには、当時の沖縄の地名「琉球」を示す「龍及(りゅうきゅう)」の文字もあった。地図欄外には国名と郡名、人口や田畑の面積なども書かれている。
 さらに奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)の名もあった。丸囲みに近い地図の描き方は、行基が原型を作ったとされ、江戸時代まで複製された「行基図」の一種とみられるという。
 博物館の久下(くげ)実・主任学芸員によると、沖縄を龍及と表現する鎌倉時代の特徴や、港町の地名が多く記される室町時代の特徴を備えており、さらに書体の古さや紙質の分析も加味し、作製年代を推定した。
 地図は福山市出身の古地図収集家、守屋寿(ひさし)さん(東京都)が収集し、博物館に寄託した。7月19日から9月24日まで同館で公開される。【松井勇人】

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【参考】仁和寺の日本図・・・安芸国あたりから西方が欠損

西郷園

ゆきりんが\(◎o◎)/!
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