YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

神武天皇東征伝説

都嶋御旧跡~神武天皇聖蹟~【薩隅日探訪記⑩】

都之城跡(城山公園)の一角には、神武天皇の聖蹟(東征前の皇居)があります。
P8150133

P8150135

P8150140

P8150142
都嶋御旧跡

P8150143

P8150144

P8150145

P8150136

P8150139

阿須賀神社~神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑~【熊野十津川紀行2】

南紀新宮に到着後、ホテルで自転車を借りて市街地を散策。
まずは新宮市街地にある神社へ向かいます。

主目的は「神武天皇聖蹟碑」への訪問ですが、
神武天皇聖蹟難波之碕顕彰碑~大阪天満宮~【京阪紀行2】 以来の聖蹟碑となりました。

神武天皇聖蹟は、紀元2600年記念事業として、紀元二千六百年奉祝会が定めた神武天皇旧跡。 21箇所が指定され、18件19箇所に顕彰碑が建立された。
1939年(昭和14年)5月の第二回総会で、36件を調査することを決定し、調査が行われた。
その結果、18件19箇所を決定し、場所に応じて、伝説地・推考地などの称をつけた。橿原宮と竃山は既に聖蹟として、認められているとして改めて指定することはしなかった。
過去何度も論議を引き起こした高千穂宮についてはついに不明のままとなった。
01神武天皇聖蹟橿原宮
02神武天皇聖蹟竃山
03神武天皇聖蹟菟狭推考地
04神武天皇聖蹟崗水門
05神武天皇聖蹟埃宮・多祁理宮伝説地
06神武天皇聖蹟高嶋宮伝説地
07神武天皇聖蹟難波之碕
08神武天皇聖蹟盾津推考地
09神武天皇聖蹟孔舎衛坂伝説地
10神武天皇聖蹟雄水門伝説地
11神武天皇聖蹟男水門伝説地
12神武天皇聖蹟名草邑推考地
13神武天皇聖蹟狭野
14神武天皇聖蹟熊野神邑
15神武天皇聖蹟菟田穿邑
16神武天皇聖蹟菟田高倉山伝説地
17神武天皇聖蹟丹生川上
18神武天皇聖蹟磐余邑推考地
19神武天皇聖蹟鵄邑
20神武天皇聖蹟狭井河之上推考地
21神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤伝説地
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E8%81%96%E8%B9%9F

P8121529

P8121531

P8121534
P8121535

P8121530

P8121532

P8121533
徐福伝説の痕跡が残る地でもあります。

P8121527
神武天皇聖蹟熊野神邑

P8121528

P8151628

日本遺産目指す

神武東征(東遷)の伝説地に動きがあるようです★
イメージ 1

立磐神社~神武天皇出港の地~【日向宮崎探訪記7】

美々津の街並みを抜けて耳川河口にやってきました。
この地は「神武天皇東征における出港の地」・・・現在は立磐神社となっています。

イメージ 3
立磐神社

伝承によれば、神武天皇の出航日は旧暦8月1日である。(日本書紀によれば旧暦10月5日である)
神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことから、旧暦8月1日には起きよ祭りが開かれる。時間がなかったので着物のほつれに気づいても直す暇がなく、立ったまま縫わせた。そのためこの地を「立縫いの里」と呼ぶ。住人たちは出航に合わせてを作る予定をしていたが、急遽、小豆餅米を一緒について渡した。これを「お船出団子」と言い、今に至るまで美々津の名物となっている。
立磐神社には、「神武天皇御腰懸磐」がある。神武天皇が出航の際にこのに腰掛け指揮したとされ、社名の「立磐」もこれに由来する。神武天皇と航海神の住吉三神を祭神とする。(Wikipedia)

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6
神武天皇御腰懸磐

イメージ 7


イメージ 8
イメージ 9

イメージ 10
この地から大和へ・・・東征伝説に想いを馳せたのでした。

イメージ 11
耳川河口から遥か大和を望む。

イメージ 2
これは宿泊したホテルに展示されている出航時の船「おきよ丸」です★

皇宮屋:皇宮神社~皇軍発祥之地~【日向宮崎探訪記3】

八紘一宇の塔 の山を下り、かつての神武天皇の皇居跡に到着。この場所には宮崎神宮の摂社:皇宮神社があり、神武天皇東征の出発地を「皇軍発祥の地」として建立された記念碑があります。
静寂な森の中には神秘的な社殿がひっそりと・・・。
イメージ 1
イメージ 2
皇宮屋(こぐや)とは神武天皇御東遷前の皇居跡と伝わるところで、現在は宮崎神宮の摂社に列する皇宮神社が鎮座しております。神武天皇は、諸県の高原郷の狭野原(現在の高原町の狭野)でご誕生になり、皇太子となる15歳の時、宮崎へお移りになり その後、東征に向かう45歳までお過ごしになったといわれています。ここは、今の宮崎神宮の地に宮居なさる以前の宮居の地、もしくは行宮の跡であったのではなかろうかと云われております。

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 9
旧社殿跡

イメージ 5
「皇軍発祥之地」・・・記念碑の高さは12メートル。

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8
杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年明治13年)1月1日 - 1945年昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人元帥陸軍大将陸軍大臣教育総監太平洋戦争開戦時の参謀総長福岡県出身。
陸軍士官学校卒業(12期)、陸軍大学校卒業(22期)。
陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない(もう一人は上原勇作)。(Wikipedia)

プロフィール

yamatetsu

記事検索
アーカイブ
  • ライブドアブログ