YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

京都府

名曲喫茶:柳月堂~出町柳で音楽鑑賞~【洛中・近江潜入記5】

上御霊神社から賀茂川を眺めながら南へ歩き・・・出町柳にやってきました。
この日の疲れた身体を休めるための目的地は名曲喫茶。京都レトロ喫茶シリーズです(*^▽^*)

【参考】

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名曲喫茶:柳月堂
柳月堂(りゅうげつどう)は、京都市左京区田中下柳町に所在する名曲喫茶
出町柳駅叡山電鉄駅舎[注 1]から東に約70mのところに建つ雑居ビル「柳月堂ビル」の2階に入居している[1][2][3]
当喫茶店は雑談ルームとリスニングルームから成り立っている。
このうちリスニングルームには、前記でも一部触れているが、木製の大型スピーカー[注 5]アンプグランドピアノチェンバロ[注 6]、音楽に纏わる様々な装飾品類[注 7]などが備えられている[4][3][5]
リスニングルーム内では、一切の私語が禁じられている[6][8]のは勿論のこと、音楽鑑賞の妨げとなり得るあらゆる物音についても発することを禁じている[注 8]。また、上着類の脱着についても室外にて行うよう求めているほか[17]、「を脱がないこと」という注意事項も存在する[8]
リスニングルームの利用に際しては、注文した飲食物に応じた価格の合計とは別に「音楽チャージ(ミュージックチャージ)」も発生する一方[8][17]、備え付けのレコードリストの中から聴取を希望する楽曲をリクエストすることが出来るようになっている[5][注 9]。(Wikipedia)

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2階へ向かいます。

有料500円のリスニングルームへ。
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厳粛な雰囲気の中、クラシックが素晴らしい音で流れています

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棚にはクラシック関係のレコードや書籍があふれています。

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音を立てることなく運ばれてきたチーズケーキとコーヒーとともに・・・至福のひとときを過ごしたのでした

インパルス~河原町の純喫茶~【京阪紀行5】

泉涌寺から河原町へ・・・・例の本純喫茶へ、1000軒 をもとにコーヒーを喫する♪

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インパルス
京都府京都市中京区河原町通蛸薬師上ル奈良屋町292

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キリマンジャロ

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チーズケーキ

狛犬巡りin京都\(◎o◎)/!(情報)

京都の狛犬を巡り尽くした方と、

春コースの打ち合わせ。秀犬、猛犬、珍犬、駄犬…コマイヌの生態をめぐる。


近場だったら絶対行くのに・・・(ノД`)・゜・。
どなたか参加してみてくださいね♪

三年坂・二年坂の風景【冬の京都散歩18】

司馬遼太郎先生の墓参を終えて、
三年坂方面を歩いてみようかなと♪
元日の京都・・・さすがに凄い人出ですね\(◎o◎)/!
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三年坂と紀元2600年記念碑
 
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二年坂
 
横山ゆいはんが紹介していた店に立ち寄りました。
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 かめやま
さきの細い 竹のお箸
軽くて、食べやすい竹のお箸。特に最近は、先の細いお箸が超人気!
一度お豆さんをつまんでみて下さい。びっくりするくらい上手に使えますよ。
ということなので、ゆいはんと同じのを
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 買ってみました~★ 
使ってみたら良かったです♪

司馬遼太郎の墓~大谷本廟~【冬の京都散歩17】

豊国廟から下山し、五条通方面へ♪
 
東山の「大谷本廟」の墓地には、
国民的作家ともいうべき『司馬遼太郎』の墓があります。
歴史小説愛好家のYAMATETSUが一番影響を受けた文豪。
以前、大阪の「司馬遼太郎記念館」に行き、
そして今回
京都で念願の墓参をすることができました・・・感慨無量です(T_T)
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大谷本廟(おおたにほんびょう)は、京都府京都市東山区にある浄土真宗本願寺派西本願寺)の宗祖親鸞墓所である。通称は、「西大谷[1]」・「祖廟」。
大谷本廟は、「日野誕生院」・「角坊」(すみのぼう)とともに「宗教法人 本願寺」が所有する飛地境内建物である。(Wikipedia)
 
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総門を抜け
 
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参拝をして
 
大谷本廟の墓地へ向かいます。
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広大な墓地の中から
案内表示もない司馬遼太郎の墓を見付けるのは困難です。
大谷本廟守衛の方に大体の場所を教えていただき、
また、こちらを参考にしながら↓
なんとか発見できました!
 
今まで数々の小説を読んで感動したり、
「街道をゆく」を読んで旅程を辿ったりできたことに
感謝しつつ・・・手を合わせたのでした。
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司馬遼太郎の墓
 
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司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年大正12年)8月7日 - 1996年平成8年)2月12日)は、日本小説家ノンフィクション作家評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国幕末明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。
1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に吐血して倒れ、国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院、12日の午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去した。72歳だった。同日は「菜の花忌」と呼ばれている。死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。絶筆「濃尾参州記」は未完となった。親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。法名は、「望院釋淨定」。政府から従三位を追賜された。
翌年に司馬太郎記念財団が発足し、司馬太郎賞が創設された。2001年(平成13年)に、東大阪市の自宅隣に司馬太郎記念館が開館。司馬太郎記念室がある姫路文学館では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬太郎メモリアル・デー」を開催している。また、NHK大河ドラマ原作となった作品数は最も多く、「21世紀スペシャル大河ドラマ」(後にNHKスペシャルドラマと変更)と称する「坂の上の雲」を含めると7作品である。(Wikipedia)
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