YAMATETSU見聞録

史跡探訪と旅行、その他読書雑感等 ~明日になれば明日の風が吹く~

石川県

加能点描~旅の風景~【加賀能登探訪録12】

旅の終わりが近づき・・・最近は、なかなか印象的な風景等が撮れません。それと、地元の猫にも会えませんし・・・難しいものですね

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能登:七尾城跡にて

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加賀:鳥越城跡にて


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帰路の始点へ・・・片山津ICから北陸道に入り
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尼御前SAで車中泊(仮眠)をすることに。

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滞在中、石川県発祥のゴーゴーカレーには行く機会がなかったので、尼御前SAで「金沢カレー」を味わいます。

金沢カレー(かなざわカレー)とは、主に金沢市を中心とする石川県のカレーライス店で供される独自の特徴を持ったカレーライスを言う。「カレーのチャンピオン」創業者の田中吉和がそのレシピを考案したと言われており、石川県で古くから営業している老舗店は50年以上の歴史がある。
【特徴】
ルーは濃厚でドロッとしている。 付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。 ステンレスの皿に盛られている。 フォークまたは先割れスプーンで食べる。 ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている。 ルーを全体にかけて白いライスが見えないように盛り付ける。
なお、すべての店舗が上記の特徴を満たしているわけではない。  (Wikipedia)


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雨の中の車中泊・・・気温は適温だったので、まあまあ熟睡できたのでした


以上、【加賀能登探訪録】 終了
ありがとうございましたm(__)m



2018/6/10追記
後日・・・
中四国には一店舗しかない地元のゴーゴーカレーに行ってみました
ふたたび北陸・石川県の風が吹いたような気がしたのでした(*^▽^*)
ついでに、スタバで石川県ゆかりの加賀棒抹茶を味わってみたり
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ゴーゴーカレー岡山中仙道スタジアム

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メジャーカレー

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山代温泉と山中温泉の総湯~加賀温泉郷~【加賀能登探訪録11】

白山市の鳥越城跡から加賀市の温泉郷へ向かいます。
今回は、山代温泉と山中温泉の共同浴場「総湯」へ行ってみました★
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山代温泉総湯

北陸3県でも最大級の温泉街の一つ。4つの温泉街の中心に位置する。かつては北陸有数の歓楽温泉として栄えた。1300年以上の歴史があり、ヤタガラス開湯伝説が残っている。北大路魯山人与謝野晶子など多くの文化人が訪れた。(Wikipedia)

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山代温泉古総湯【明治時代の総湯を復元】↓

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「古総湯」の中は神秘的な空間でした


続いて、
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温泉番付:西の前頭筆頭「加州 山中の湯」へ

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山中温泉総湯

行基による開湯伝説があり、1300年の歴史があると伝えられる。この他にも長谷部信連の開湯伝説がある。蓮如松尾芭蕉など多くの著名人が滞在した。鶴仙渓と呼ばれる景勝地があり、温泉客の散策地として人気がある。(Wikipedia)

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北陸地方の総湯は、地元の方が日常的に利用しているようです。

和倉温泉総湯~大同年間温泉湧出~【加賀能登探訪録6】

能登金剛から七尾市に戻ってきました。能登の名湯「和倉温泉」の共同浴場’総湯’に行ってみることに★
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和倉温泉総湯
和倉温泉(わくらおんせん)は、石川県七尾市に位置する温泉である。
開湯1200年とされる歴史の古い温泉で、傷ついた白鷺が癒しているのを漁師が発見したと伝えられる。
地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏加賀藩前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。(Wikipedia)

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明治32年初代総湯

白鷺が傷をいやし・・・この話は他の温泉でもあるようですね・・・加賀藩主・前田氏が整備したという温泉で1200年の歴史を感じだのでした

能登金剛とゼロの焦点~巌門とヤセの断崖~【加賀能登探訪録5】

七尾城を下山し、七尾市街地を抜けて能登の西海岸へ向かいます。
目的地は能登金剛
以前読んだ推理小説ゼロの焦点に登場するこの場所が、とても印象深く・・・その情景を感じるためにやってきました。
まずは、能登金剛のメイン景勝地「巌門」に到着!
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能登金剛(のとこんごう)は、石川県能登地方羽咋郡志賀町に位置する景勝地である。
約30kmに亘って奇岩奇勝断崖が連続する海岸であり、能登半島国定公園の代表的な景観の一つ。松本清張小説ゼロの焦点』(1959年刊行)の舞台となったことで、全国にその名を知られることになった。遊覧船が運航されている。
2007年能登半島地震では一部が被害を受けた。
一帯の海岸は日本海荒波によって浸食されたもので、名称は朝鮮半島有数の景勝地、金剛山(現北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国江原道に所在)に因み、それに匹敵する景観という意味合いを持つ。見所としては巌門、関野鼻、機具岩、ヤセの断崖、碁盤島、吹上滝、増穂浦、玄徳岬などがある。歌川広重六十余州名所図会の『能登 瀧之浦』に巌門、不動の滝、鷹の巣岩を描いている。(Wikipedia)

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巌門前

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波食によって形成された天然の洞門です。
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安藤広重も描く名所図会

そして、巌門から北へ移動し「ヤセの断崖」へ。
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ヤセの断崖(やせのだんがい)は、石川県羽咋郡志賀町笹波にある断崖絶壁である[1]。能登金剛と呼ばれる複雑に入り組んだ海岸線奇岩・奇勝の数々が見渡せる[2]。また、松本清張小説を原作とした映画ゼロの焦点』の舞台として知られている[2][3][1]
能登半島中部の景勝地能登金剛に存在するが、海に突き出た岩場は海面からの高さが55 mあり[3]、以前は岩場の周りには、体を預けられるような手すりや木も無かった為、滑落の危険や自殺防止の観点から、2008年(平成20年)3月末まで立ち入りが禁止されていた[4][5]が、現在は、手前に柵ができ、そこから海を望む形をとっている。相当昔、断崖周辺の土地がやせていた事、断崖の上に立ち身を乗り出して崖下を覗くと身がやせる思いがする事などから「ヤセ」の名がついたと言われている[1][6]。高さ35 mの崖上からは日本海が一望できる。断崖上に沿って設置された遊歩道義経の舟隠しにも繋がっており、自然を愛でながら散策することができる。2007年3月25日に発生した能登半島地震により、名所であった崖が幅10 mにわたって崩落し、かつての面影は消えつつあるが、足がすくむ場所として観光地となっている[7][6]
能登の峻烈なイメージを読者に抱かせた松本清張推理小説を原作とした1961年公開の映画『ゼロの焦点』で、悲劇のヒロインが最後に身を投じたということでも知られている[8]。この映画の影響を受けて、最盛期には年間少なくとも18人の自殺者がいたという[9]。(Wikipedia)

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ヤセの断崖の上・・・柵があるため先端までは行けないのです。

断崖から徒歩数分で、義経伝説のひとつ・・・
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「義経の舟隠し」
源義経が奥州に逃亡する際、追っ手から逃れるために舟を隠したと言い伝えられている断崖絶壁の入り江。 義経の舟は小舟だったため、間口5m、奥行き100mほどの狭いスペースに48隻もの舟を隠すことができたのだとか。 展望できるように柵が設置されていますが、 崖の下をのぞき込むと、足がすくんでしまうほどの大迫力です。https://tadaya.net/nototsuduri/landscape/detail20/

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義経の舟隠しの横から崖を少し伝って降りて、ヤセの断崖を望みます。

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ゼロの焦点(映画) で観た広末涼子が立つヤセの断崖と、現在の形状を比較してみると、やはり能登半島沖地震で先端部が大きく崩壊したようですね。


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